語り部からの学びとラグビーの経験を<br>根拠ある技術と知識に昇華させる

佐々木 秀樹 Sasaki Hideki

Sasaki Hideki 宮古地区広域行政組合消防本部 山田消防署 救急救命士 消防士長

Interview

語り部からの学びとラグビーの経験を
根拠ある技術と知識に昇華させる

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ひとりでも多くの人を苦しみから救える立場になりたい

消しても消しても火は消えなかった

田老分署でふたりの消防職員が懸命な訓練を重ねながら実力をつけていた矢先の平成23年3月、東日本大震災が発生し、三陸沿岸を大津波が襲った。波は高さ10mの防波堤を軽々と越え、「万里の長城」と称されていた巨大な壁を破壊。佐々木とペアを組んでいた消防職員は、町内の津波警戒中にポンプ車ごと津波にのみこまれた。

宮古地区広域行政組合消防本部は、消防本部・宮古消防署、田老分署、新里分署、川井分署(いずれも宮古市)、岩泉消防署(岩泉町)、田野畑分署(田野畑村)、山田消防署(山田町)で組織されているが、この震災で4名が殉職。このうちの3名が田老分署の職員だった。海岸沿いにあった田老分署は全壊し、使用不能となる。多くの資機材が流出した。

津波後、町中で火が上がり、真夜中の空を赤く染めた。佐々木たちは、岩泉消防署の職員と懸命に消火活動をおこなうものの、火は周囲の山々に燃え広がるばかりで、消しても消してもその勢いはおさまらなかった。

もはや残された人員と資機材で対処できるレベルではなく、職員たちの力も尽きて半ば諦めかけていた頃、緊急消防援助隊秋田県隊が隊列を組んで被災地に入ってきた。

「朝方、火災・救急・救助の実動部隊として、秋田県から多くの消防職員がきてくれた。隊列を組んで助けにきてくれた秋田県隊を目にした時は涙が止まらなかった」

佐々木は、いち早く被災地に入った秋田県隊への感謝のことばを何度も繰り返した。

佐々木が田老分署配属中に東日本大震災が発生。宮古地区広域行政組合消防本部は、消防本部・宮古消防署、田老分署、新里分署、川井分署(いずれも宮古市)、岩泉消防署(岩泉町)、田野畑分署(田野畑村)、山田消防署(山田町)で組織されているが、震災により職員4名が殉職。このうちの3名が田老分署の職員だった。写真はいずれも発災時の田老地域の状況。(提供/宮古消防署 田老分署)
佐々木が田老分署配属中に東日本大震災が発生。宮古地区広域行政組合消防本部は、消防本部・宮古消防署、田老分署、新里分署、川井分署(いずれも宮古市)、岩泉消防署(岩泉町)、田野畑分署(田野畑村)、山田消防署(山田町)で組織されているが、震災により職員4名が殉職。このうちの3名が田老分署の職員だった。写真はいずれも発災時の田老地域の状況。(提供/宮古消防署 田老分署)

東日本大震災での経験を経て

「震災時、自分は目の前のことにただ対処するだけで何もできなかった。それが本当に悔しかった」

東日本大震災での経験を受けて、佐々木は救急救命士を志願する。人員と資機材に頼らざるをえない消防力にはどうしても限界があるが、自己の能力や技能の研鑽には限界がないだろうと彼は続ける。

ひとりでも多くの人を災害や苦しみから救いたい。その手段には、消防・救助・救急などのアプローチがある。そこでできることは何でもやりたい。やれる立場になりたい。佐々木は、救命士の活動に求められる資格を一年に最低ひとつ取得することを自らのノルマと課し、さまざまな研修会に参加するようになった。

彼のカードフォルダーは、自動車運転免許(大型特殊免許・けん引免許・自動二輪)、クレーン運転士免許、水上安全法救助員(日本赤十字社)、潜水士免許、玉掛技能講習、毒物・劇物取扱者、小型船舶操縦士免許、ガス・アーク溶接技能等々といった免許証でぱんぱんに膨れあがっていた。

平成28年に救急救命士の資格を取得。同年8月に発生した台風10号時は、前日までCSRM(Confined Space Rescue and Medicine)の研修を受けていた。台風10号は、またもや東北に甚大な被害をもたらしたが、佐々木の小型船舶操縦士免許がさまざまな場面で役立った。

全国救助大会出場 常連本部の立役者に

現在、佐々木は競技の第一線から退き、応用登はんの専任指導者として後進の指導にあたっている。そこで彼が心しているのが、〝根拠に基づいた指導〟である。消防や救急の技術を後進に正しく伝えることは容易ではない。

「これまでは〝感覚で覚えろ〟といった指導がしばしば見受けられた。だが救命・救急で用いる資機材にはそれぞれ必ず科学的な根拠があるのだから、それをきちんと踏まえたうえで、技術力の向上を図るのが望ましい」

たとえば、三つ打ちロープとスタティックでは伸び率も異なる。この素材の伸び率は〇〇%だから、これくらいの荷重をかければこれだけ伸縮するといったことをロジカルに分析したうえで、ではどのような結索が有効かを考えるといったスタンスである。

佐々木は、大会に向けて訓練を重ねるなかで、こうした科学的な分析の重要性に気づいた。ロープブリッジ渡過のセーラーでは、摩擦抵抗の微妙な差異が結果に影響する。いかに摩擦抵抗を減らしてスピーディに移動しタイムを縮めるか。練習を積み重ねながらその根拠を見出していった。

実際、佐々木が後進の指導を始めてから、宮古消防本部は平成22年以降の6大会で全国大会出場を果たしている。これも根拠に基づいたロジカルな指導が導いた成果のひとつであった。

左から中嶋樹消防士、佐々木秀樹消防士長、金子弘明消防副士長。
左から中嶋樹消防士、佐々木秀樹消防士長、金子弘明消防副士長。

四世代に続くレスキューの精神

平成29年、佐々木は山田消防署の配属となり現在に至る。消防職員として、救急救命士として、指導者として、やるべきことは山のようにある。そして、このやるべきこととは、自己研鑽のための活動であると同時に、人のための活動でもある。

ラグビーでは15人のメンバーそれぞれに決められたポジションがあり、ひとたびピッチに上がれば、それぞれの役割に応じて考え動き、コミュニケーションをとりながら競技が展開される。これは消防や救命・救急の活動にも通じる精神と言えそうだ。

ラグビーの精神を表すことばに〝One for all, All for one〟がある。ひとりはみんなのために、みんなはひとつの目的のために、その場、その瞬間で考えられる最善の判断、最善の対処を実践すること。ラグビーを通じて、先人の教えを通じて、そして訓練を通じて、佐々木の心身には、その精神がしっかりと宿っていた。

もうひとつ、佐々木が大事にしていることがある。それは自分の後ろを見ること。つまり、何人が自分を信頼して付いてきてくれるか、である。指導の場でも、そのことを常に意識している。

佐々木は3人の子どもの父親でもある。そのうちの小学5年生と3年生の息子ふたりは、すでに「お父さんのような消防士・救命士になる」と宣言している。

今も、日本のどこかで災害が発生している。怖いのは忘れることだが、山田・田老地域ではしばらくその心配もなさそうだ。祖父・父親・佐々木とその息子たち──四世代にわたるレスキューの心と力が、この地で伝えられ、つながろうとしている。

佐々木 秀樹

佐々木 秀樹Sasaki Hideki

昭和59年、宮古市(旧田老町)に生まれる。平成16年10月に消防士として岩手県宮古地区広域行政組合消防本部 岩泉消防署配属。平成20年田老分署に配属となり、平成23年の東日本大震災を経験する。平成24年から宮古消防署勤務を経て平成29年に山田消防署へ。平成22年、ロープブリッジ渡過部門で優勝し、県代表として第39回全国消防救助技術大会への出場を果たす。宮古・下閉伊管内の消防署からの全国大会出場は20年ぶりの快挙だった。

岩手県・田老町で生まれ育った少年は、地元で消防士の道を選んだ。 全国消防技術大会に出場したその翌年、東日本大震災が発生。 あの日の悔恨を胸に、この手でより多くの人を助けたいと、ひたむきに消防の仕事と向き合い続ける。
文◎小針かなえ 写真◎井上 健(warm heart) Jレスキュー2019年1月号掲載記事

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