Special
東京消防庁技術安全所の熱中症対策
酷暑を乗り切るには、体づくり、冷却、休息…多方面からの対策が必要だ
「気合いと根性」だけとはさせない!
(写真)東京消防庁消防技術安全所に導入された最新型の恒温恒湿室。天井部に太陽近似光照射装置を備え、真夏の屋外環境を模した環境での研究が可能になった。温度は-20℃~+80℃、湿度は10~80%まで設定可能。2部屋あり、暑い環境から冷却された環境に急激に環境を変化させる研究も可能。
Jレスキュー2018年7月号掲載記事
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を目前に控え、東京都にとって熱中症対策は喫緊の課題である。東京消防庁では平成29年に消防技術安全所の恒温恒湿室を最新タイプに更新し、都民に対する熱中症の注意喚起に取り組むとともに、あらゆる角度から消防職員の熱中症対策の研究を進めている。
「暑熱順化」は梅雨明けまでに
消防職員の熱中症対策として一定の効果が認められているのが、熱中症になりにくい体づくりをする「暑熱順化」である。東京消防庁は9年前の平成21年よりこの暑熱順化に着目し、数回にわたり消防技術安全所の恒温恒湿室内で暑熱順化を再現した実験を実施した。
この結果、暑熱順化を行うと、同じ運動強度でも体温が上がりにくく、心拍数の上昇が抑えられ、汗をかく能力が高まるという身体的な変化が顕われ、体を動かし始めて早い段階で汗をかくようになること。さらに身体の中に取り込める水分量も増えることから、熱中症になりにくい体になることが確認され、夏前の連続した5〜7当務、暑熱順化を意識した訓練やトレーニングを行うことが望ましいという結論を得た。
熱中症対策の研究に携わってきた玄海嗣生消防司令は「熱中症を発症する件数が最も多いのは梅雨明け直後。6月中には暑熱順化を終えておいた方がよい。梅雨明け直後の暑さで消防活動に支障がなければ、ある程度暑熱順化できていると考えられる」という。
東京消防庁では暑熱順化のメニューは各隊に任せており、雨合羽を着装してランニングを行う、消火訓練後の片づけもあえて防火衣着装のままで行う、訓練終了後に引き続き防火衣着装のまま20分程度のランニングを行うなどが、活動隊員のトレーニングの一環として取り入れられている。
活動20分で体温急上昇
熱中症の発症には「年齢」「体力」「耐暑能力」「体調」等によって個人差があるが、消火活動で防火衣を着装すると身体表面の露出面積が極めて少ないことから体温が放熱されにくく、体温は上昇する。気温30℃、湿度60%の環境下では活動開始から約15~20分で体温は熱中症発症の危険が急激に高まる38℃になるので、適切な身体冷却と水分補給、休息を必要とすることが研究の結果で明らかになっている。
また冷却ベストを着用した場合は体温上昇を5分ほど遅らせる効果があることもわかった。水分摂取の効果を研究した実験では、防火衣完全着装状態で水分補給をせずに1時間以上活動を持続すると、外気温や湿度に関わらず熱中症を発症する危険性が高く、活動開始から40分以降に初めて水分を補給しても発症を抑制する効果が低いことも研究されている。つまり、こまめな水分補給が重要なのである。
体温37℃を越えると 感覚が鈍る
消防技術安全所では平成26年に興味深い実験を行っている。暑熱条件下では、「主観的な自己評価」と「客観的な数値のズレ」がどう起こっているか? という実験だ。熱中症による受傷事故を防ぐには、本人の確実な自己評価が欠かせないが、本人が大丈夫だと思っても測定してみると心拍数は毎分180回以上を超え、体温も38℃以上というケースが実際に起きている。
【図1】を見ると、実測体温と主観体温は37.0℃付近を境に逆転し、37.0℃以下では体温を実際よりも高く見積もるが、37.0℃以上では低く見積もる傾向があることがわかる。実測38.5℃を超えた際の主観は37.8~38.1℃と0.4℃以上のズレがある。つまり37.0℃を超えると、熱中症の危険性が高まっているのに「まだできる」と感じてしまう傾向があるのだ。このギャップによる活動中の受傷事故を防ぐためには、日頃の訓練から主観体温、キツさを口頭申告させ、その傾向を安全管理につなげることである。
「人間は風邪をひいた時には高体温になるが、これは風邪ウイルスを撃退するため脳からの指令で意図的に体温を高めているもので、白血球がウイルスの攻撃を終えると脳は体温を平温に戻すよう指令を出すようになっている。しかし、熱中症による高体温ではこの体温調節機能が失われているため、生命に危機が及ぶことがある」と玄海嗣生消防司令は語る。
効果的な休息のとり方
火災防ぎょなどで活動時間が長時間化することは珍しくないが、この場合、暑さに伴う体温上昇は隊員の注意力や判断力を鈍らせる可能性がある。これらの能力を維持するためには隊長の判断で適宜隊員を交替させ、休息をとらせる必要があるが、具体的に何分間の休息をとればどれだけ回復するかを研究したデータは過去になかった。その部分に焦点をあてた研究が平成28年度に行われ、心拍数や体温の変化、血中グルコース、血中乳酸値の測定結果が発表されている。
この研究で、休憩開始後20分ではまだ体温が十分に下がり切らず、30分たつと体温が下がって活動再開後の活動継続時間が長くなることがわかった。しかしながら、現実的には限りある隊員数で1隊員に30分もの休憩時間を確保するのは難しい。では限られた条件で効果的に体力を回復させる方法はあるのか?
そこで比較研究されたのが冷却剤の交換。現場で冷却剤を交換することで有意に体温は下がった。水分の効果的な補給については、活動中は交感神経優位の状態にあり消化吸収能力が低下するので、出場時に水分や電解質を摂取しておくのが効果的であるという研究結果が出た。また、活動中の消防隊員の発汗量を測定すると、1時間で約1.5リットルだった。この具体的な量を隊員個々に認識させることで、水分摂取の必要性を意識づけるようにした。
冷却剤の効果を高めるには?
東京消防庁では、活動中の冷却ベストの着用が普及している。現在使用しているのは融点0℃の一般的な冷却剤だが、活動開始から20~30分後には冷却効果が感じられなくなり、隊員からは冷却効果が長時間継続することを望む声があるという。東京消防庁では隊員に冷却剤のこまめな取り替えを推奨しているものの、20~30分後といえば火災の最盛期にあたり冷却剤を交換できるような状況にないことが多い。そもそも活動の途中で冷却剤を入れ替えること自体が容易ではないというのが現場の実情である。
そこで消防技術安全所では融点の異なる3タイプの冷却剤を用いて、その効果を研究した。タイプ1は従来から使用している融点0℃のタイプ。タイプ2は融点14℃、タイプ3は融点28℃の冷却剤である。融点28℃の冷却剤は、融点0℃の冷却剤と比較して肌に接したときに冷え感はあまりないが、穏やかに熱を奪うことから皮膚毛細血管の収縮を伴わずに効率的な身体冷却が期待できる。また冷凍庫がなくても、クーラーを効かせた車内など28℃以下の室温に置いておけば再利用が可能になるメリットがある。
3タイプの冷却剤を着装してランニングした研究や、タイプ1の冷却剤で胸部と背部を冷やすケース、上背部と側胸部を冷やすケースの違いを研究したが、冷却効果や効果の持続時間について今後さらなる研究を進めて行くとしている。
この研究は、消火活動だけでなく、化学災害対応用防護衣を着装した活動も視野に入れている。化学災害対応は活動に伴う運動強度は消火や救助活動ほど高くないが、活動時間は長時間化する傾向にある。大規模イベント開催中に不審物があれば、消防職員も重装備で対応しなければならない。消防技術安全所が次のテーマに掲げているのが、この特殊災害対応時の熱中症対策である。
冷却剤(融点0℃/14℃/28℃)の研究
事前に冷やし、遠隔管理する
今年度、消防技術安全所が取り組んでいる研究テーマが「アイススラリー」だ。シャーベットよりもきめの細かい氷飲料で、経口摂取することで体内を効果的に冷却し、高気温の中でも活動隊員のパフォーマンスを維持することが期待できる。スポーツ科学の分野ではすでに運動前に摂取するプレクーリングの効果が実証されていることから研究に着手し、並行して消防隊員のバイタルサインの遠隔モニタリングによる熱中症予防と安全管理を行う研究を、東京理科大学と共同で行っているところである。
また、これら熱中症に関する知見は消防隊員だけでなく都民にも役立つものが多いことから、都民にもわかりやすい内容にまとめた映像を作成し、インターネットで公開する取り組みも始めている。