Report
ドキュメント【令和5年7月豪雨】秋田県五城目町
被災した消防士を応援する呼びかけで、全国の消防士が集結
令和5年7月の梅雨前線による大雨は、九州北部から東に移動し、7月14日から16日にかけて東北地方に停滞。秋田県の複数地点で24時間降水量が観測史上1位の値を更新したほか、浸水害や河川の越水氾濫が発生した。五城目町や秋田市の中心部では、広い範囲で内水氾濫等により住宅や車が浸水し、五城目町では車の浸水により男性1名が死亡した。
五城目町消防本部の職員で、Jレスキューの連載企画にご登場いただいていた中道聖也さんも、築2年のご自宅が浸水した。この状況がSNSで広く周知され、技術系災害ボランティアDRTやOPEN JAPAN、同団体代表の黒澤司氏(日本財団 災害担当)が支援に入った。また消防の同志による呼びかけで、東北の消防を中心に、関東、東海エリアからも非番や休日を使って消防士が復興支援に駆けつけた。
写真◎小久保陽一(特記を除く)
五城目消防本部 中道聖也さんが語る、
被災体験と災害対応について――
五城目町消防本部
中道聖也さん
自分が被災者に
7月15日、早朝から大雨による全署員の招集が発令されたものの、私は39℃の発熱で参集することができず、自宅で妻と子供と3人で過ごしていました。午後になり窓の外をのぞくと自宅前の道路が冠水し始めていることを確認。目の前を流れる馬場目川の氾濫が今後起こることを予測し、実家への避難を判断。自宅を出る際には道路はすでに膝上まで冠水していました。
翌7月16日、出勤前に自宅の状況を確認しようと朝早く家を出ると、そこには想像もしない光景が広がっていました。家の前や庭には泥が30cmほど堆積し、フェンスは木々が挟まった状態で水圧で押し曲げられ、外壁や玄関には120cmの高さまで浸水した跡が残っていました。おそるおそる扉を開けて家の中を見ると、そこには受け入れ難い光景が広がっており、言葉を失いました。妻と夢を語りながら考案に考案を重ねた築2年のマイホームは床上78cmまで浸水。冷蔵庫は倒れ、キッチンや風呂、トイレなどの住宅設備にも泥が堆積し、泥まみれの床には生活用品が無惨に散ら張っておりました。マイホームに家族3人で幸せに暮らしていた生活が一夜にしてすべてが崩れ、「被災者」となりました。
心に染みた、先輩からの連絡
被災して間もなく、東北の元消防士、藤田廉太郎さんから心配の連絡が届きました。自分が被災したことを伝えると、何かできることはないかと考えてくださり、全国の消防士に支援を呼び掛けてくれました。
自分が被災者となって、被災者というのは常に精神的に不安定な状態であることを自分の身を持って感じ取りました。普段は気にならないような言動でも、言葉一つひとつが胸に刺さるような感覚がありました。私たち消防士は助けを求めている人への「接遇」は日頃から意識をし、各種現場活動を実施しておりますが、被災者への「接遇」や「配慮」はより慎重に、かつ手厚く対応しなければならないと感じました。相手を思いやる心の大切さを再認識させられました。
また家の片付け、家庭や育児、仕事のバランス・時間配分が非常に難しく感じました。環境の変化で妻や子供にも負担をかけている中で、自宅の片付けもしなければならない、仕事にも行かなければならないという状況は、何を優先的に行うのか、どの順序で行うのかなどとても悩みました。上手く対応できたか、その時の行動は正しかったのかは今でも分かりません。
被災したという辛く深い悲しみの中で、人との繋がりの大切さ、温かさを感じました。家族や親戚、そして同級生の消防士の仲間たちがすぐに駆けつけ、泥の排出など連日のハードワークの中、嫌味一つも言わずに片付けに協力をしてくれれたことは感謝でしかありませんでした。また全国の消防士の方々から心配や励ましの連絡をいただき、そのお心遣いがとても嬉しく感じました。辛い時に手を差し伸べ、温かい言葉をかけてくださった皆様から頂いたご恩は一生忘れることはできません。
大勢のボランティアが駆けつけてくれて
今回、DRT JAPANの黒澤司さんやDEF TOKYOの鈴木暢さんをはじめ、連日の猛暑のなか全国各地から五城目町に足を運びボランティア活動に従事してくださる皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。遠く離れた場所から自身の休日を利用して被災地に赴き、困っている人の手助けをしたいという皆様の気持ちと行動力を心から尊敬しております。
黒澤さんは常に自分や妻のことを気にかけてくださり、声を掛けてくださいました。日本全国の被災地で災害復旧を行うプロフェッショナルの方の自然な気遣いは、心が満たされるような感覚になりました。本当に感謝しております。
ボランティアの皆さんが、自宅の近所一体の家々(自宅にはボランティアは入っていません)の片付け・掃除に手を貸してくれ、近所の方も涙を流しながら「ありがとう」と伝えておりました。その心からの「ありがとう」は普段の何十倍の重みがあると思いました。
「ONE TOHOKU」が立ち上がる
さいごに、「ONE TOHOKU」というグループを立ち上げ、全国各地の消防士に呼びかけを行い、今回の五城目町でのボランティア活動に繋げてくださった藤田廉太郎さん、黒澤さんとのバイパスを作って下さった坂田穣治さん、初日から連絡を下さり穣治さんを紹介してくださった山本康人さん。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
(8月1日 五城目町消防本部 中道聖也)
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災害ボランティアが見た五城目町の様子