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あの大火は何を変えたか? 糸魚川市消防本部が取り組む 「大火に負けない消防力」強化作戦
平成28年12月22日に発生した糸魚川市駅北大火は、
出火から鎮火まで約30時間を要した歴史的な火災となった。
悪戦苦闘した糸魚川市消防本部に当時の状況と、
その後の取り組みをきいた。
【写真】更地となった火元周辺(平成30年4月24日撮影)。
Jレスキュー2018年9月号掲載記事
強風下で焦燥した悪戦苦闘の消火活動
出火直後、指揮隊長として現場に急行した千田裕之消防司令によると、出火場所正面からはあまり火が出ておらず、「早期に鎮火できる」という第一印象であった。しかし火元から上がる黒煙で建物の周りの視界が効かず、放水を開始した後に裏手を確認したところ、すでに延焼していた。
糸魚川市消防本部では炎上火災ということで、火元の真正面に指揮本部を設定し、以後、署長が陣頭指揮を執る態勢に切り替わった。放水による延焼阻止に努めるが予想以上に火の進みが早く、悪戦苦闘。火元周辺は住宅密集地で古い建物が多く、薄い窓ガラスが熱で割れて飛散し、消防隊の前進を阻んだ。火元周辺では懸命の放水にもまったく効果が見えず、また折からの飛び火により同時多発的に火災が発生し、延焼阻止線が次々と破られ、戦線が押し下げられた。最大限の消防力を投入して奮闘するも、手の打ちようがない混沌とした状態に、指揮隊の千田は無力感を覚えて焦燥した。県内各地からも増援があったが、とうてい追いつくものではなかった。
飛び火による延焼が日本海に達しようとしている状況下、指揮本部では午後2時頃、南風が西風に変わる可能性があることを踏まえ、街の東側への延焼を避けるため、南北に走る駅前通りに最終阻止線を構築してここに消防力を集中。夜になって雨が降ったこともあり飛び火の勢いがそがれ、さしもの大火も徐々に収束に向かったのであった。
大火後にこの経験を活かし、消防本部では強風下での放水の検証を繰り返したが、当時の瞬間最大風速27mを越える台風並みの状況では、風下や風横からではどんな放水をしても風に負けてしまうことが確認されるばかりであった。そこで、逆に風上から、水勢に加えて風の勢いに乗せて放水すれば、延焼阻止に有効ではないかと考えているという。
飛び火警戒を中心に消防団との連携強化
大火を受けて糸魚川市では、「大火に負けない消防力の強化」に優先的に取り組んでいる。具体的にはまず、住宅用火災警報器(連動型含む)の設置推進だ。今回の大火では、火元に火災警報器がなかったことで発見が遅れたというのが大きな要因となったからだ。さらに消火器設置の義務付けを強化し、150平米以下の小規模飲食店でも設置を義務付けた。
そして初期消火体制の強化である。糸魚川市では各地区に自主防災組織があり、組織率は概ね85%を越えている。消火栓も適宜設置され、消防用ホースが配備されている地区もある。しかしこれらのホースは口径65㎜で、高齢者や女性には少々荷が重い。そこで軽量で扱いやすい40㎜ホースを今後260カ所程度に配備していく計画だ。
水利の拡充も重要だ。今後、被災地の地下に防火水槽200トンを新設するほか、被災地に隣接する地区にも100トンの水槽を新設する。さらに被災地を流れる暗渠になっている城の川と奴奈川用水に取水口の増設を予定している。
飛び火対応の強化では、警防計画において強風時の火災防ぎょ計画を独自に策定し、そのなかに飛び火警戒を盛り込んだ。先の大火においては、飛び火を追いかけていくパターンの消火活動になってしまい、結果的に対応が後手後手に回ってしまった。その教訓として今後は、強風時には即座に第一出動と第二出動を同時にかけるとともに、飛び火の先手を打つべく先回りして、まだ火の出ていないところにも放水配備するなどの対応が新たに計画されている。また人員に制限のあるなかで、飛び火警戒は消防団を中心に担っていくとしている。
前提として、糸魚川市消防本部は小さな消防本部なので、消防団の活動なくして消火活動はできない。市内の消防団は被雇用者の率が高く、90%近くに上る。今回は平日午前中の火災発生だったので、出動要請をかけた約20分後の参集率はわずか4・3%。1時間後の11時35分にも15・6%だった(最終的には23時の73・3%)。これを如何に早くするかがこれからの課題だ。
一方で消防団の装備については大火後、すぐに補正予算が組まれて拡充が図られた。具体的には各部3着しかなかった防火衣の増備で、最終的には各部5着体制となる。さらにゴーグルにくわえ活性炭の入っている防護マスク、ゴムの厚い防火長靴、そしてヘッドライトを全団員に配備した。
大火の1年後の平成29年12月22日には、記録的な大火を伝承する目的も含めて「こども消防隊」が発隊。今年の出初式にも出場し、防災への決意を表明した。
これらの施策を通し糸魚川市では、「決して火は出さない」という気持ちを市民と共有しつつ、一丸となって災害に強い街づくりに邁進している。