村木 秀彦 Muraki Hidehiko
Muraki Hidehiko 熱海市消防本部 消防署 署長
Interview
「1+1」が毎回、絶対「2」になるように、反復訓練を重ねて安全・正確さを追い求めた
「残された時間で強い組織を作り上げる――」
それが死を覚悟で任務に励んだ男の決意
最優先に取り組むべきは教育を通した人材育成
「周りに支えられているんだな、ひとりじゃないんだな、という気持ち。部下がいて、仲間がいてくれての自分ですから。未熟な若い署長だが、みんながいるからこそ署長ができているということを大事にしたいです」
それが今日の心境だ。
世代交代を円滑に行い、後継者を育てていくことが自らの役目と任ずる村木にとって最大の課題は、若い消防本部という内部要因があるなかで、社会から要求される安心安全をどのように提供していくか――ということにつきる。
今の若い世代は、個人主義的性向が強く、仕事以外では付き合わない傾向にあると感じている。自らの若い頃は先輩に飲みに連れていかれたり、明けの日はいっしょに遊んだりというのが多かったという村木だが、時代が変わったことを十分に認識しており、今の若者に合った職場環境を作っていくのが役目と自任する。
「あくまで階級社会なので、節度を持って、ということが前提ですが、若手隊員であってもいいたいことはいえて、変えるべきことは変えていく、そんな手助けがしたい。署長をはじめ上司に悩みを打ち明けられるような、そんな雰囲気づくりに努められるのも、小さな消防本部だからこそ。互いに顔が見えていて、ましてや寝食をともにしている仲なので、団結してみんなで仲良く、円滑な人間関係でうまくやっていくことを心がけています」
さらに、若い集団を成熟させるため、なんといっても最優先に取り組まないといけないのが教育訓練だ。全国の小規模消防が慢性的に抱えている人員不足のなか、少ない人数での災害対応に万全を期すには、人を育てること、すなわち人材育成がなんといっても大事である。消防学校における専科教育等にどんどんいかせるなど、あの手この手で教育を企画してやっていかないと、モチベーションが保てない。そのためには、若手のやる気、意欲を「否定しない」ということも大切だ。できるだけ「試してみれば」と行動を促す。外部研修や出向など、機会があればどんどんいろいろな場所に出て自分を磨いてほしい。そのためのバックアップは惜しまないつもりだ。
「でも、今の子はよく勉強していますね。今日も救急隊が明け番で訓練をやったんですが、みんなの意見を出し合って、自主的かつ積極的に訓練をやろうとしています。また市営住宅が解体されるとなれば進入訓練をしたり、ドアの破壊をしたり。南出張所が建て替え中なので、壊すときにはそこで訓練をしました。私が指示したのではなく、みんなの意見でやろうよやろうよとなった。やっと軌道に乗り始めたのかな」
世代交代がうまくいって引退できれば一番いい
世代交代の橋渡しを託された村木の消防人生はあと10年ほどと、まだまだ先が長い。
「小さな消防本部なので、少数精鋭の頑強な部隊を作りたい。世代交代が順調にいって、徐々にいろいろなことを下の世代に引き継いでいって、自分は引退できればそれが一番いいと思っています(笑)」
若手集団を成熟した強い組織にするには、ただのんべんだらりと毎日毎日、与えられたことだけをやっていたらダメというのが村木の考えだ。限られた時間のなかで、自分たちで何が課題なのかを見つけ、日々の勤務のなかでクリアして、次のハードルを上げていく――。これの繰り返しが大事だと力説する村木。その横顔はたしかに名トレーナーのそれであった。
一方で、消防を離れた休みの日は、生粋のスポーツマンである。高校のヨット部を皮切りに始まったヨット人生は、高校時代にインターハイ、そして国体に出場するほど。大学時代もヨット部で鳴らし、消防に入ってからも明けの日には競技人生を続け、社会人になってからは全日本チャンピオンに輝いたほか、世界選手権にも英国とオーストラリアと2回出場している。今日は競技人生からは退いたものの、指導者として、ボランティアで子どもたちにヨットを教えている。
家庭人としては、高校生を筆頭に三児の父。長男は来年、社会人になる予定(当時)で、静岡県内の消防本部を志願するそうだ。
「受かるのかな、どうですかね?」
と急に父親の顔になった。消防の仕事を志望することには、やはりうれしいと目を細めた。
航空隊勤務の3年間では、文字通り、命をかけた。限られた年代の人間しかできない任務だ。若くてもだめだし、年齢を重ねすぎても難しい。そしてベテランになると我が出てきてしまいがちで、そこに慢心という落とし穴があり、事故の元になるとのこと。期間は3年がちょうどよく、それ以上だと組織的にはよくないという。そんな内容の濃い航空隊勤務は、「よく五体満足で、無事に帰ってこられた――」というのが実感だ。
「笑っちゃうかもしれないですけど、下着類も墜落事故などがあった場合を想定して、白は着用しなかったですね。女房や子どもに、血だらけの衣類を返すわけにはいかないから」
いったん出勤したら何があるかわからない仕事。血が目立たないようにと黒や紺の衣類を身に付ける習慣は今日も続いている。常に柔和な村木の表情が、引き締まったものになった瞬間だった。
49歳で署長になった男は、自らの消防人生で、いかに航空隊勤務の3年間が大きかったかを繰り返し語った。仕事を通して成長した実感があるからこそ、自分の体験を何らかの形で伝えたい、そして、とにかく自分に残された時間で強い組織を作り上げる――。そんな強靭な決意が、下着をめぐるエピソードから強烈に伝わってきた。
村木 秀彦Muraki Hidehiko
昭和43年 静岡県熱海市出身
平成4年 熱海市消防本部に採用
平成5年 静岡県消防学校へ入校(半年間)
平成11年 静岡県防災局緊急防災支援室へ出向(2年間)
平成13年 消防士長、熱海市の防災室へ出向(1年間)
平成18年 静岡県消防防災航空隊へ出向(3年間)
平成21年 救助係長
平成23年 警防係長
平成24年 当直司令
平成25年 通信指令室長
平成27年 予防室長
平成29年4月1日より現職(掲載当時)