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【コラム】トミカで見る救急車の歴史(前編)
目次
トミカ・ハイエース コミューターRH18V型 救急車
昭和45年(1970年)から昭和52年(1977年)頃まで販売されていたトヨタ・ハイエース コミューター救急車。ベース車種が従来のクラウンからハイエースに代わり、室内の作業性が大幅に向上している。この救急車から「ワンボックスタイプ」が主流となり、2つのベッドが備わった「2B救急車」と呼ばれ、日本の消防機関において主力となっていった。
ニッサン・キャラバンE20型 救急車
トヨタ・ハイエースLH66V型 救急車
日産パラメディック救急車
平成3年(1991年)当時、欧米における救急業務には、ドクターカー制度(医師が同乗している救急車制度)やパラメディック制度(救急隊が救急現場で医療行為の一部を行う制度)が導入されていた。その流れを受け、日本でも救急搬送途上の医療の充実と、傷病者の救命率の向上を図るため、政府はこれらの制度をわが国にも導入しようと、それまで禁止されていた医療行為の一部を実施することができる救急救命士制度を創設する方針を打ち出した。そして、救急救命士法が制定され、同年8月5日に施行された。
この法律の制定に伴い、所定の教育訓練を受け、国家資格を有する救急隊員は、電気的除細動、静脈路の確保、器具による気道確保等の高度な処置を行えるようになった。救急車においても隊員の疲労軽減のため、これまで中腰で活動していた車内室高を、立つことのできる高さに改良(拡張)し、傷病者の搬送中の負担も軽減する防振台装置が開発された。また、救急車両の規格として、従来の2B型救急車(普通救急車)に加えて、高規格救急車という新たなカテゴリーが誕生した。