熊本地震―益城町を火の海にするな!<br>【活動ドキュメント②】熊本市消防局

Special

熊本地震―益城町を火の海にするな!
【活動ドキュメント②】熊本市消防局

14日、16日の2度にわたる震度7。何度も繰り返される地震で益城町は壊滅的な被害をこうむった。
このさなか、一般住宅で火災が発生する。
消防力、水利ともに劣勢の状況下、地元の熊本市消防局益城西原消防署は必死に火災と戦った。

(写真)どの隊がどこで何の事案に対応しているのかを付箋に書き、益城町の地図上に貼付していく。

写真◎熊本市消防局

Jレスキュー2016年7月号掲載記事

Twitter Facebook LINE
消防司令補 佐々木孝裕

消防司令補 佐々木孝裕

熊本市消防局
益城西原消防署 警防課一部
ポンプ小隊 小隊長

ガス爆発が起きたのか?

4月14日の前震、16日の本震ともに同災害における最大震度・震度7を記録した益城町は建物の倒壊が激しく、死者計21名(5月27日現在)、住宅の全壊2304棟、半・一部損壊7655棟という甚大な被害を被った。

同町と隣接する西原村の直近消防署である熊本市消防局益城西原消防署は39名の消防吏員が2交替・毎日勤務で業務にあたっている。前震が発生した14日21時26分頃は救急隊1隊が出場中で、ポンプ隊、救助隊はほとんどが事務所でデスクワークにあたっていた。

警防課1部ポンプ小隊の隊長である佐々木孝裕は、そろそろ風呂に入ろうと椅子から立ち上がった瞬間、「ドン!」という爆発音を耳にした。続けて、大きな揺れが益城西原消防署を襲った。近所で何かが爆発したのではないかと思えるほどの激しい揺れ。その場にいた職員は皆机の下に潜り込んで、わけのわからぬまま揺れが収まるのをじっと待つしかなかった。

揺れが収まると同時に、今度は署内が真っ暗になった。停電である。通常であれば自動で非常用電源に切り替わるはずが、一向に電気が灯る気配がない。地震直後の活動は、暗闇の中でスタートした。

すぐに119番通報が入電してくるに違いないと確信し、車両が出場できる状態かどうかを確認しようと佐々木たちは車庫へと急いだ。車庫内は、ひどい状態になっていた。

益城西原消防署の配備車両は、消防ポンプ自動車CD-Ⅰ型(以下ポンプ車)と水槽付消防ポンプ自動車(以下タンク車)、救助工作車1台、救急車2台、司令車1台。車庫内では出場中の救急車をのぞくすべての車両が車輪止めを乗り越えて前進しており、ポンプ車にいたってはシャッターに激突していた。車両をいったん後ろに下げ、シャッターを開けたところで、さらなる問題が発覚する。車庫と車庫前の広場の境目にある側溝のグレーチングがすべて弾き上がっており、さらに広場側の地面が沈下して段差が生じていたのだ。そこで、まずはグレーチングを車輪部分の橋にして、車両を1台ずつ広場に出していった。空になった車庫にはシートを敷き、応急救護所として活用できるよう準備を進めた。その後は手をケガしたので応急処置をしてほしいと駆け込んできた町民の手当てや、車両の損傷箇所点検、非常用電源の確認などの初動対応に追われた。

益城町安永地区で消火活動を実施した益城西原消防署警防課一部ポンプ小隊。
益城町安永地区で消火活動を実施した益城西原消防署警防課一部ポンプ小隊。
オレンジ色の光

誰もが慌ただしく初動対応に追われている最中に、ポンプ隊員の一人が遠くを指さして叫んだ。

「隊長、向こうにオレンジ色の光が見えます!」

もしかして、どこかから出火しているのではないのか…? この段階で情報を得られていない佐々木は、熊本県全域を激しい揺れが襲ったと思っており、まさか益城町がもっともひどい状況になっているとは想像すらしていなかった。火災が発生した場合、熊本市消防局管内では直近にいるポンプ車4台、救助工作車1台、救急車1台、指揮車1台の計7台が出場する体制(第一出場)をとっている。しかし、発災直後の同消防署には当務のポンプ小隊1隊(4名)しかいない。熊本市全域が被災しているとなると、オレンジ色の光が火事だったとしても、他のポンプ隊は益城町には来られないか、到着がかなり遅くなる可能性が高い。最悪の場合、1台でできるだけの消火活動をする必要があるな、と佐々木が考えを巡らせたまさにそのとき、情報司令課から発災後第1報目となる出場指令がかかった。

「益城町安永地区で建物火災発生!」

同署はポンプ車とタンク車の2台を事案に応じて運用しているが、この段階では道路状況がまったく不明のため、小回りの利くポンプ車を選択し、救助工作車に乗車した救助隊4名とともに現場へと急行した。

安永地区は消防署から比較的近い位置にある地区で、通常時であればものの4〜5分で到着する。最短ルートである消防署前の国道を南下し、寺迫交差点の手前まで行ったところで大型トレーラーが停車していた。運転手に事情を聞くと、この先は道路の陥没がひどくてとても通行できないとのことだ。急きょUターンして別ルートをひた走るが、途上では民家の塀が道路側に倒れていたり、驚いて家屋から飛び出してきた人が路上にいてスムーズに走行できず、現場到着まで9分を要した。

消火栓が使えない

到着した現場は木造2階建ての一般住宅からの出火だった。火勢は最盛期をやや過ぎて2階部分が徐々に焼け落ちてきている状況だったが、案の定、現場にはまだ誰も到着しておらず、佐々木たちが最先着だった。「断水しているかもしれない」と一瞬考えたが、これから様々な方面から他隊が現着する可能性を考慮して、自分たちは直近の消火栓に部署することにした。

が、悪い予想は的中した。水はまったく出る気配を見せない。佐々木たちは焦る気持ちを抑え、直近の防火水槽へと移動した。益城町内には大小合わせて約300ヵ所に防火水槽があるが、このとき部署した防火水槽は20tで自動補水機能もなかった。また直近といえど防火水槽から火点までは160mほどの距離があり、20mホースを10本近く延長することになる。延長するホースの距離が長くなればなるほど、ホース内部に充水する水(放水に使用できない水)の量も増えてしまう。水は、かなり慎重に使用する必要があった。

佐々木は、火点を制圧するのではなく、隣家への延焼防止に集中する戦術をとることにした。安永地区は新旧住宅が寄り集まった住宅密集地であり、一度隣家に燃え移ってしまえば、ポンプ車1台ではもうどうにも対処できなくなる。佐々木の頭には阪神・淡路大震災で火の海となった神戸の街の映像が焼きついており、熊本もそうなってしまうのが何より恐ろしかった。近隣住民への聴取で火元住民はすでに避難していることもわかったため、隣接する家々との境目に放水し続けた。風向きにより火が隣家の方へ押し寄せてきた際には隣家敷地内に進入し、塀越しに火点へと注水した。同時に出場した救助隊は隣家に延焼していないかを確認したり、防火水槽からのホース延長を行った。

少し遅れて東消防署の指揮隊が到着した。あとから聞いた話では、東消防署小山出張所のポンプ小隊も同現場に向かっていたそうだが、出場途上で各所から119番通報が続々と入電したため、急きょ倒壊家屋での救助活動などに転戦していて現着が遅れたそうだ。西原出張所のポンプ小隊にいたっては、現着後に発生した余震で道路脇の民家の石垣がポンプ車に崩れ落ちてきて、右側の前輪やドア部分にかなりのダメージを受け、車両を動かせなくなった。機関員と無線連絡を絶やさないようにして水量を調整しつつ活動を続けていると、非常招集で集まった非番の隊員たちがタンク車で現場に到着した。途上で現場に向かって走っている別の隊員を拾ってきたらしく、5〜7人もの人員を確保できた。

タンク車隊はさらに遠くの防火水槽(20t)に部署し、現場まで約300mの距離を15本以上のホースを使って一線延長した。その間にも余震は断続的に続いており、大きく揺れる際は塀や家屋が隊員側に落下しないように退避を繰り返しながらの活動を強いられたが、15日の午前2時前にはようやく火の勢いが落ち着き、これ以上は燃え上がらないだろう、というところまで消火できた。後はタンク車の1線を残して非番隊員や消防団が残火処理をするから、次の出場に備えてポンプ小隊は一旦帰署してくれと指揮隊から指示を受け、ホースを撤収して帰ろうとする段になった頃、後着の消防車が続々と集まりだした。

「そっちは、どがんもなかったと?」

佐々木が熊本市内の消防署隊員に聞くと、市内ではここまでの被害は出ておらず、益城町の方がかなりひどいことになっているという。佐々木はこのときになって初めて、益城町直下を走る布田川・日奈久断層帯が原因の地震なのだな、と腑に落ちた。

全焼火災のあった益城町安永地区の家屋。
全焼火災のあった益城町安永地区の家屋。延焼防止の戦術としたため、隣家への延焼は防ぐことができた。
混乱する現場指揮本部

佐々木のポンプ隊は帰署途上、益城町広崎地区で火災が発生したという無線を受け途中まで出場したが、すぐに火災は発生していなかったと判明し、そのまま帰署することになった。そのくらい発災直後の被災地では情報が錯綜していたのだ。

帰署してみると、日勤者や非番者、警察や自衛隊、さらには「熊本県市町村消防相互応援協定」に基づいて応援に来た有明広域行政事務組合消防本部や天草広域連合消防本部などの県内消防本部が続々と集結していた。消防署内は棚が倒れ書類が散乱し、とても活動できる状況ではなかったため、車庫内に現場指揮本部が設置されていた。

現場指揮本部にはひっきりなしに情報が寄せられており、その場にいる隊員はすべて出場させているような状況だ。佐々木たちも新しいホースをホースカーに詰め替えるとすぐに、宇城広域連合消防本部の救助隊と山鹿市消防本部の救急隊とともにガス漏洩の恐れがあるという現場に出場した。応援で駆けつけた他消防本部隊員は地元の地理に詳しくないため、どこかに出場する際は熊本市消防局の隊員が一名は必ずつく、という態勢を敷いていた。

到着した現場ではLPガスボンベが倒れていたが、ガス臭くはなかった。念のため宇城消防の救助隊がガス検知器を使ってみたがガスは検知されなかったため、ボンベを起こしてここでの活動は終了となった。佐々木が周囲を見渡してみると、4月とはいえ肌寒い真夜中の道路上で毛布にくるまった住民たちが不安そうに消防の活動を見守っていた。

車庫に設置された現場指揮本部。庁舎内は倒壊物などでとても大勢が入れる状況ではなかった。
益城町寺迫地区の建物閉じ込め事案に対応する益城西原消防署の救助隊。
益城町寺迫地区の建物閉じ込め事案に対応する益城西原消防署の救助隊。
集まりだした 緊急消防援助隊

その後も、他消防本部救急隊の道案内や傷病者がいれば益城町役場に設置されていた熊本赤十字病院の応急救護所に搬送して応急手当をしてもらうなどの活動であっという間に時間が過ぎていき、帰署した頃にはすでに空が白みはじめていた。夜が明けるにつれ救助・救急事案の要請件数は落ち着きだし、また県内応援の消防本部が大きな戦力となって活動にあたってくれたため(10消防本部から31隊が出動。15日4時15分時点では14隊53名が益城町内で活動)、昨夜から活動しっぱなしだった消防署の当務隊員は再集結時間(6時)まで1時間ほど休息をとることになった。だが、とうてい眠れる状態ではない。佐々木は荒れ果てた庁舎内でまんじりともせず再集結の時間を待った。ふと訓練塔を見ると、主塔の真ん中あたりに大きな亀裂が走っていた。

15日の佐々木たち非番職員の活動は、九州各県(福岡県、佐賀県、大分県、長崎県、鹿児島県、宮崎県)から進出拠点である熊本県消防学校に到着した緊急消防援助隊を被災地域へと先導することから始まった。地区ごとに要救助者を検索するローラー作戦を実施するため、佐々木は宮崎県大隊を先導して益城町の広崎地区と古閑地区をあたった。

活動現場では倒壊している家屋・無事な家屋ともに一件ずつ声掛けを行い、住民の安否を確認していく。熊本市内に近い広崎・古閑両地区は建物の被害がほとんどなく、安否確認はスムーズに進んだ。小さな余震は続いていたが、その場で活動していた誰もが「これでだんだん収束してくだろう」と思っていた。しかし14日の震度7の地震は、前震にすぎなかったのである。

本震発生! 折れた訓練塔

非番職員は15日の17時ごろに一旦解散となった。佐々木は一度自宅に戻ってみた。自宅のある広崎地区はそれほど被害が大きくなかったとはいえ、部屋の中は物が散乱して足の踏み場がなかった。とりあえず寝るスペース分だけ物をどかしてベッドに倒れ込み、気を失うようにして眠りに落ちたのが16日の0時頃。それから約1時間後の1時25分、下から突き上げるような縦揺れで飛び起きた。

「まさか14日の地震は本震ではなかったのか?」

頭の中が真っ白になった。本震は前震よりも揺れの時間が長く、また激しかった。佐々木は無意識に「くそー!」と叫び声をあげていた。

揺れが収まると同時に、駐車していたバイクに飛び乗り、町の様子を見ながら消防署へと向かった。14日時点では無事だった家屋や塀が無残にも倒壊しており、「絶対にこのあと救助活動が多数ある」と思いながら先を急いだ。

消防署に到着すると、当務の隊員や県内応援本部の隊員はすべて何かしらの事案に出場している状態で、救助隊にいたっては東熊本病院から約30名の患者を転院搬送中に被災した。同隊の救助工作車と同じくその場にいた中央消防署特別高度救助隊の救助工作車は3mの間隔をあけて駐車していたにも関わらず、地震の揺れで車両同士が動いて衝突したという。

地震の揺れにより衝突した益城西原消防署救助隊の救助工作車と中央消防署特別高度救助隊の救助工作車。アウトリガーカバーがめり込むほどに激しくぶつかっている。

情報司令課からの出場指令はひっきりなしに下されているのだが、署のプリンターが地震による落下で壊れてしまい、日勤職員がすべて手で紙に書き起こして出場隊に渡していた。

佐々木は非番員4名で編成した臨時部隊としてタンク車に乗りこみ、宮園地区で発生した倒壊家屋での生き埋め事案へと向かった。道路状況は14日よりも劣悪で、いたるところで亀裂や断裂が生じている。通行可能なルートは緊急車両や益城町から避難しようとする一般車両で埋め尽くされており、通常なら3〜4分のところ到着するのに10分かかった。

現着してさっそく声掛けを行うと、倒壊した木造2階建ての一般建物の瓦礫の下からかすかに声が聞こえる。臨時部隊の中で唯一佐々木だけが救助隊経験者だったので、まずは佐々木が2階の窓から屋内に進入して潰れた一階部分への進入ルートを探る。屋内階段は使えなかったため一旦外に出て家屋の裏へまわると、瓦礫と瓦礫の隙間の小さな空間に要救助者が挟まっていた。木造住宅なので隊員4名で手を使って壁をはがして徐々に間隙を作り、余震が来るたびに退避、を繰り返して要救助者の男性を救出した。近くにいた鹿児島県警にスケッドストレッチャーを借り、連携して車両まで搬送。鹿児島県警が役場にある救護所まで搬送してくれるというので、佐々木たちは別の現場へ転戦することにした。

いったん帰署するとそれだけで時間がかかってしまうため、佐々木らは署へは帰らず無線や携帯電話で要請を受け、道路上の危険物排除や倒壊家屋での安否確認などを実施した。消防署に帰ってきたのは夜が明けてからだった。14日と同じく明け方には要請が落ち着きだしたため、佐々木たちはポンプ車に乗り換えて町内の被害調査に向かった。巡回した町内は14日以前とは様変わりしており、橋は橋げたは残っているものの、そこにかかっている道路がすべて沈下していた。山側は岩石や土砂が道にまで崩れ落ちており、もっと山の多い消防本部では孤立している地域もあるのではないかと思った。

帰署する際に消防署をふと見ると、昨夜ヒビが入っていただけの訓練塔が国道に向かってポキリと折れていた。

2〜3階の柱が折れてしまった訓練塔
16日の本震により、2〜3階の柱が折れてしまった訓練塔。
危険なため、現在はすでに取り壊されている。
もっとも恐ろしいのは火災延焼

16日の日中は、福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県、宮崎県の緊急消防援助隊とともに、ローラー作戦のやり直しを行った。17日以降は救助要請が落ち着いてきて、かわりに避難所からの救急要請が増えるようになった。佐々木たちポンプ小隊は町内の崩落危険箇所の点検や、道路状況の確認作業に追われている。バイクや一般自動車は通行できても、車高も重量もある緊急車両では通れない道があるためだ。また、防火水槽や消火栓の点検も重要な業務のひとつだ。益城町内ではいたるところで水道の配管が断裂しており、益城西原消防署も5月7日になってやっと水が出るようになった。

この災害で佐々木がもっとも恐ろしいと感じたのは、やはり火災である。今回は幸い前震・本震とも火の取り扱いが少ない時間帯に発災したため、全焼に至る火災は1件に収まったが(熊本市消防局管内全体では、ぼや5件、部分焼3件も発生)、後着隊や他本部からの応援もいつ来るかわからない、水も出ないという状況でどのようにして火災を最小限で食い止めるのか、今後考えていかなければならない問題だ。

さらに、今回の活動では消防団が大きな役割をはたした。益城町消防団には627名(平成27年4月現在)が所属しているが、彼らが発災直後の住民の安否確認をしっかりと行ったからこそ、ローラー作戦を効率よく実施できた。消防局が関知していない場面で消防団や市民が協力して行った救助活動もかなりあっただろう。

いまだに余震の続く中で、同クラスの地震が起こる可能性はゼロではない。益城西原消防署では今後よりいっそう、地域の防災力を上げていきたいと気を引き締めている。
(平成28年5月10日取材・本文中のデータは6月1日現在)

隊員の膝あたりまで陥没した道路。
隊員の膝あたりまで陥没した道路。
14日、16日の2度にわたる震度7。何度も繰り返される地震で益城町は壊滅的な被害をこうむった。 このさなか、一般住宅で火災が発生する。 消防力、水利ともに劣勢の状況下、地元の熊本市消防局益城西原消防署は必死に火災と戦った。
(写真)どの隊がどこで何の事案に対応しているのかを付箋に書き、益城町の地図上に貼付していく。 写真◎熊本市消防局 Jレスキュー2016年7月号掲載記事

Ranking ランキング