【ドキュメント】御嶽山噴火災害<br>―被災地消防本部―

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【ドキュメント】御嶽山噴火災害
―被災地消防本部―

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見えてきた今後の課題

今回の受援活動を振り返り、楯署長は「おおむねスムーズに行えることができた」という。隣接消防とは普段から連携関係が構築されており、迅速な応援・受援体制を整えることができた。長野県が策定した『緊急消防援助隊受援計画』も相当参考になったが、難しかったのは情報収集と他組織を含む応援隊とのさまざまな調整作業だった。

噴火発生当日はマスコミの問い合わせで電話回線がパンクしてしまい、災害対策本部等と連絡がとれないという事態に。今後は、災害対策本部等が広報を一本化するといった形を採るのがよいのではないだろうか。

また、これは致し方ないことなのだが、緊急消防援助隊の場合、1隊の活動期間は長期的なものではなく次々に派遣部隊が入れ替わっていく。受援側としては、顔の見える関係を作り、現状を把握してもらったと思ったら交替となり、また一から現状を説明しなければならない。指揮支援部隊や後方支援部隊の中に、現状を把握し長期的に現場の活動を支援する調整役となる存在が必要でないか。また受援計画は消防組織だけのものなので、他組織との連携を考えたものも必要だと実感した。

火山災害について、全く想定していなかったという苦い思いもある。日本には110の活火山があり、そのうち気象庁が24時間態勢で監視している火山は47もある(御嶽山も含まれる)。にもかかわらず、木曽広域消防本部は予算をやりくりしてストックや登山靴を装備するのが精いっぱいだった。火山が管内にあっても、1つの消防本部でできる対策や装備は限られるのが現状だ。活動の装備についても今後は対策をとらなければならない。

日本初となった火山での救助活動は安全の担保が取れない厳しいものだったが、受援という立場となった木曽広域消防本部は手探りの中で臨機応変に対応した。この経験を活かし、火山防災のより充実した防災計画の策定が望まれる。

地元から見た御嶽山

標高3067mの御嶽山は、地元では「おやま」と呼ばれ信仰される一方で、山麓では高級木材である良質なヒノキを産し、スキー場などのレジャー産業が地元の暮らしを支えてきた。7合目まで車やロープウェイで入ることができ、山頂まで3時間程度。気軽に登れる3000m級の山として、年間で約24万人が訪れる人気の山だ。

御嶽山の噴火活動で大きなものは、1979年(昭和54年)10月28日早朝に発生した水蒸気爆発。当時地元に消防本部はなく、この噴火を消防職員として経験している職員はいない。1991年(平成3年)に小規模な噴火、2007年(平成19年)にもごく小規模な水蒸気噴火が発生している。いずれの噴火に際しても被害はほとんどなかった。

御嶽山は重装備で登る山ではなく、ハイキング+αというのが地元の認識。毎年開催される御嶽スーパートライアスロン大会(バイク・登山・ランをこなす過酷なレース。御嶽頂上3067mを折り返すコースは、標高差が2267m)は、消防も選手として出場したりボランティアとして関わっているため、毎年職員の何名かは御嶽山に登っているが、危険な山という認識は全くなかった。

お話を伺った方

お話を伺った方

木曽広域消防本部
木曽消防署長
消防司令長
楯 啓二

警報ブザーが鳴る緊迫した現場

頂上での救助活動を支援するために、木曽広域消防本部の中から御嶽山を知り尽くした職員15名が選出され、のべ19名が頂上付近での捜索・救助活動の先導役を務めた。木曽消防署警防係長の征矢野泰史消防司令補は、合同救助隊の先導役を務めた7名のうちの1名で、自衛隊の大型輸送ヘリ(CH-47)での輸送が開始された10月1日、ヘリで二ノ池付近の捜索・救助活動に携わった。

「当日は寒さが厳しく、さらに風が強く吹いていた。標高890mの松原スポーツ公園から標高2900mの二ノ池付近まで一気にヘリで到達するため、救助隊が高山病にならないよう、山頂に降りてからは体を順応させられるよう、会話ができるぐらいのゆっくりしたスピードで先導した」

一ノ池付近のローラー作戦に同行することになった征矢野消防司令補は、現場指揮隊につきルートや捜索範囲の助言、判断材料の進言等を行ったが、それに従い救助隊が登山者がよく歩く「お鉢めぐり」と呼ばれるコースを捜索すると、2名の心肺停止者が発見された。活動中はガス検知器の警報ブザーが時折鳴る緊迫した状況で、降灰で登山ルートの目印も見えにくくなっていることから安全確認には細心の注意を払った。

県が緊急消防援助隊を要請した際には、山岳救助隊が要望されていたが、実際には山岳救助の経験どころか登山の経験もない救助隊員が多く、また山の装備を持っていない隊が多かった。10月を過ぎると一気に冬山になる御嶽山において、救助隊の活動服では寒さがしのげず、かといって防火衣では動きにくく発汗後の汗が体を冷やすため、活動隊の低体温症にも気を配った。自身も火山灰の中を歩くのは初めてで、ストックが大変役立ち、噴火災害に必要な装備がどんなものかを身をもって知ることができた。

御嶽山噴火災害 被災地消防本部
自衛隊の大型ヘリで隊員が輸送されることになり、活動時間が大幅に長く取れるようになったが、そのぶん身体が高度に順応しにくいため、地元のガイドとして、高山病や低体温症などに注意しつつ先導した。(写真/木曽広域消防本部)
征矢野泰史

征矢野泰史

木曽広域消防本部
木曽消防署 警防係長
消防司令補

死者57人と戦後最悪の火山災害となってしまった御嶽山の噴火。延べ約2万8420人を動員した大規模な活動を、地元消防本部は受援という立場でどう支えたのか? すべてが未経験の中、部隊支援に奔走した木曽広域消防本部の活動を紹介する。
Jレスキュー2015年1月号掲載記事 文◎新井千佳子

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