【ドキュメント】御嶽山噴火災害<br>―被災地病院―

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【ドキュメント】御嶽山噴火災害
―被災地病院―

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火山灰で真っ白、続々と搬送される被災患者

16時3分、自力で下山しマイカーで到着した1人目となる被災患者が到着した。それ以降夕方からは自力で下山した患者や現場救護所で救急車によって搬送される被災患者がぽつぽつと病院に到着し始めた。このころの被災患者は、呼吸の苦しさを訴えたりせき込んだりする症状が特徴で、火山灰を含む熱風を吸い込んだことによる軽い気道熱傷のほか噴石による軽い打撲といった症状が主であった。

16時45分に木曽病院にDMAT現地本部が設置され、長野県内のチームが、深夜過ぎからは県外のチームが木曽病院に到着し始めた(DMAT参集本部は、信州大学付属病院に設置され、県内外から集結したDMATチームの配置調整や情報収集、関係各所との情報伝達等の任務に当たった)。

役割分担は、転院搬送指示はDMATが担い、木曽病院スタッフとDMATが協力して搬送されてくる被災患者のトリアージ、治療等を行うこととなった。

病院に搬送されてきた被災患者は火山灰にまみれまっ白になっているので、まずは衣服を脱がし水のシャワーで除染し、受傷部位を確認しつつトリアージを行ってから院内で処置を行った。スタッフが処置にあたる際には火山灰を吸い込んで健康被害を起こさないように、注意喚起の声掛けを行ったり、被災患者を運ぶスタッフは、マスクにゴーグルを装備し慎重に対応したという。27日は30名の被災患者を受け入れ、うち7名が入院、6名が転院(ドクターカーなどで転院搬送)、帰宅17名であった。

28日は、消防・警察・自衛隊の救助隊が頂上付近まで救助捜索活動を開始したので、登山口には被災患者が運ばれてくることを予想し、現地救護所として黒沢口(御岳ロープウェイ駅舎)と王滝口の5合目にある八海山神社で待機した。

また木曽病院には、多数の被災患者が搬送されることが予想されるため、多数のDMATチームが待機した(最大11病院17チームが活動)。

この日、被災患者が木曽病院へ搬送されはじめたのが午前7時過ぎで、昼前から、重症患者が続々と運ばれてきた。自力で下山した人が多かった前日に比べ、搬送や治療の優先順位を決めるトリアージで最優先を意味する「赤」と判定するケースが増えてきた。

前日と同様にシャワーで除染してから院内に運び込む。「赤」の被災患者は噴石で骨折ややけどといった症状や、低体温症などが主な症状であった。

転院搬送はDMATの調整で、ドクターヘリで5件(信州ドクターヘリ松本・佐久の2機)、ドクターカーなどで7件の転院搬送が行われた(ドクターヘリでの転院搬送は、信州大学付属病院へ直接搬送された1件も含む)。

28日は、24名の被災患者を受入れ、内3名が入院、11名が転院、10名が帰宅となった。

「DMATと病院の連携は非常にうまくいったと思っている。DMAT現地本部を、院内対策本部と同じ場所に設置したのは奏功だった。お互いがどんな活動を行っているか一目瞭然で、スムーズに調整できた。また広域、地域ともに調整員の方々が協力的で、転院搬送も迅速に行うことができた」(井上敦院長)

28日で重症患者の救急搬送は一段落ついた。29日も被災患者の来院が想定されるために午前中は外来休診としたが、軽症者7名と少なく午後からは通常の診療体制に戻した。

そして木曽病院単独で対応が可能ということで、17時にDMATも撤収となった。

29日以降は通常診療体制に戻したが、10月16日までは災害対策モードを維持。救助隊員などの低体温症、高山病、怪我等の対応や帰宅後に症状が悪化した被災患者の対応に当たった。

御嶽山噴火災害 被災地病院
搬送されてくる患者のプライバシーを守るための対策も必要だった。「マスコミ対応が一番大変だったかもしれない」と井上院長が振り返る。28日にはマスコミが病院に多数集まっていた。(写真/長野県立木曽病院)
被災地の災害拠点病院としてどんな状況でも対応

噴火による被害が山頂周辺に限られていたので病院は被災せず、病院機能やDMATの活動は、上手く機能した。携帯電話を含めたライフラインが問題なく機能していたこともあり、参集・調整・連絡等もスムーズに行えた。

「県内外最大11病院の17チームが院内で活動したが、被害が長引き活動が長期となっていたら、DMATチームの交替など調整が難しかったかもしれない。また、今回被災患者数がどれくらいか全くわからない状況であったために、適正な数よりも多くのチームが参集してしまったと思う。しかし早期に参集し、万全の態勢で対応できた」(井上院長)

木曽病院ではDMATが活動を始めると、休憩場所の設置、食事の差し入れなど受援病院としてDMATチームの活動の支援も行った。

難しかった点としては、DMATチームは様々な病院から派遣されているため、患者対応や看護師・事務員への指示などそれぞれのやり方があり、木曽病院のスタッフが対応に若干のストレスを感じたことがあげられる。また情報収集の難しさ、患者のプライバシーを守るためのマスコミ対策など、今回の活動を経験して改めて難しさを感じた点もあった。

DMAT発足後初の火山災害の活動となったが、災害に同じものは1つもなく、いかに現場状況に臨機応変に対応できるかがカギとなる。

「どんな状況でも患者対応を第一で行うことを基本に想定している。今回の活動も検証し、今後の訓練などに活かしていきたい」と井上院長。

今回の噴火被害の全体像は各関係機関で共有・把握し、防災や減災、そしてDMATの理念である“一人でも多くの命を助ける”ことに繋げていかなければならない。

御嶽山噴火災害 被災地病院
長野県立木曽病院とDMAT等の活動対応状況
御嶽山噴火で長野県側に出動したDMATチーム

●長野県内
佐久総合病院佐久医療センター、諏訪赤十字病院、信州大学医学部付属病院、相澤病院、長野赤十字病院、飯田市立病院、北信総合病院、伊那中央病院、市立大町総合病院、信州上田医療センター、県立木曽病院

●長野県外
山梨県:山梨大学付属医学部病院、山梨赤十字病院、山梨県立中央病院、市立甲府病院、富士吉田市立病院、笛吹中央病院
群馬県:前橋赤十字病院
新潟県:長岡赤十字病院
岐阜県:中津川市民病院
埼玉県:さいたま赤十字病院

●厚生労働省
国立病院機構
災害医療センター
(県庁で活動)

院長 井上敦

院長 井上敦

地方独立行政法人
長野県立病院機構
長野県立木曽病院

御嶽山の噴火で被災患者の多くが搬送されたのが、長野県の長野県立木曽病院。木曽地域唯一の病院が61名の被災患者に対応した3日間の奮闘記録。
Jレスキュー2015年1月号掲載記事 文◎新井千佳子 活動写真◎長野県立木曽病院

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