【ドキュメント】御嶽山噴火災害<br>―緊急消防援助隊―

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【ドキュメント】御嶽山噴火災害
―緊急消防援助隊―

緊急消防援助隊 指揮支援隊の初動活動
「安全に活動できるかどうか、まずは現場の確認だ!」
指揮支援隊長、自ら御嶽山に登る

Jレスキュー2015年1月号掲載記事
文◎小貝哲夫
現場写真◎名古屋市消防局(特記を除く)

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27日20時30分、緊急消防援助隊出動要請

平成26年9月27日11時52分、御嶽山が噴火。同日20時30分の長野県知事からの要請を受けると同時に総務省消防庁は緊急消防援助隊の派遣を決定し、愛知県、静岡県、東京都および山梨県の4都県に緊急消防援助隊の出動を要請した。愛知県から出動するのは、名古屋市消防局の指揮支援隊1隊と、愛知県隊の一次隊として指揮隊1隊、救助中隊5隊、特殊災害中隊1隊、後方支援中隊2隊(いずれも名古屋市消防局)の計9隊である。

緊急消防援助隊は現場で活動する都道府県各隊のほかに、指揮支援隊があり、大規模災害の場合は指揮支援隊は政令指定都市および東京消防庁から複数出動することになる。

今回の噴火災害で指揮支援隊を出すことになったのは名古屋市消防局と東京消防庁である。名古屋市消防局の指揮支援隊長は現場で活動する緊急消防援助隊の具体的な活動の調整を行い、東京都の指揮支援隊長は指揮支援部隊長として長野県庁に入り緊急消防援助隊全体の調整を担当することになった。

御嶽山噴火災害 緊急消防援助隊
現場で緊急消防援助隊を指揮した指揮支援隊長は名古屋市消防局が派遣した。
指揮支援隊長 として出動

緊急消防援助隊の派遣が要請された20時30分というのは書類手続き上の時刻であり、実際には総務省消防庁から事前に調整の連絡が入る。名古屋市消防局に事前に連絡が入ったのは17時頃で、それを受けて同局ではあらかじめ決められている緊急消防援助隊の派遣計画に基づいて準備を開始した。

名古屋市消防局の派遣計画では緊急消防援助隊の指揮支援隊は消防部消防課から出動させることになっており、第1次派遣では消防部長の加納利昭消防正監を指揮支援隊長の任に充て、指揮支援隊長をサポートする指揮隊員4名の計5名で指揮支援隊を編成した。

だが、この時点では現場の状況はテレビで伝えられる情報だけしかなく、人的被害の規模も明らかにされていない。テレビには御嶽山から激しく吹き上がる噴煙の様子が繰り返し映し出されている。好天の土曜日で山頂付近に多くの登山客がいたのは間違いないようだ。

指揮支援隊長として出動することになった加納利昭は、テレビに映る御嶽山の不気味な噴煙を見ながら「ここに隊員を登らせることになるのか」と表情を硬くした。これだけの規模の噴火である。再噴火の可能性は排除できない。ましてや名古屋市は標高198mの東谷山(とうごくさん)が一番高い山で、山岳救助の経験も資機材もない。

緊急消防援助隊の出動を控え、加納は誓った。

「全隊員を安全に帰す」

私も登る!

指揮支援隊の最初のミッションは、ヘリコプター等で速やかに被災地に赴き、災害に関する情報を収集し、被災地消防の指揮支援を行うことだが、今回の場合は出動要請が夜だったことと、派遣地が名古屋市内から150kmとそれほど遠くないことから、名古屋市消防局で編成された指揮支援隊は、愛知県隊第1次隊として出動する名古屋市消防局の9隊とともに現地に向かうことになった。計10隊は名東消防署に参集し、28日0時30分に進出拠点に指定された「道の駅 木曽市場」を目指して出発した。緊急消防援助隊は28日4時までに進出拠点に参集せよとの指示である。

一行は中央道を長野方面に進み、中津川ICから国道19号線に入って北上。19号線沿いにある道の駅木曽市場に到着したのは28日4時。愛知県隊の各小隊長は地元消防の木曽広域消防本部参集記入表に隊の種別やコールサインなど所定の情報を記入し、この日活動を共にする山梨県隊と調整を行った。

活動当初、緊急消防援助隊の指揮支援隊は現地指揮所として木曽広域消防本部が指定されていたため、杉田特別消防隊長をはじめとした指揮支援隊の一部を残し、加納は地元消防の案内で黒沢口のベース地点である鹿の駅センターハウスに向かった。そこでは先行し到着していた自衛隊や警察など関係機関とミーティングを開始。28日の各実働機関の活動内容や活動範囲、山頂への進出手段等について調整を行った。 

その結果をふまえて指揮支援隊長である加納が愛知、山梨、静岡、東京の緊急消防援助隊各都県隊と長野の消防各隊をまとめる役目を担う。28日に出動した緊急消防援助隊は50隊214名。それに長野県内からは木曽広域消防本部以外のすべての消防本部に応援活動の要請がかかっている。これら消防各隊の現場活動の責任は加納にかかっている。

だが、災害状況の全容はまだまったくつかめていない。山頂近くにある山荘と携帯電話が通じていたのが唯一の明るい材料だった。山荘に残っているスタッフによると石室山荘に2人、御嶽頂上山荘に5人のケガ人がいるという。「生存者がいるということは生存可能な環境であるということだ」と加納は考えた。それならば、山頂に行けないことはないはずだ。

加納は常日頃から「(救助においては)可能な限り早く現場に行かなければ、意味がない」と隊員に言い続けてきた。行ける可能性があるなら、行けるところまで行くしかない。しかし、今回は噴火というきわめて特殊な災害現場である。現場では硫化水素や亜硫酸ガスといった火山ガスの放出が続いているだろうし、再噴火の不安もある。隊員が安全に活動できる確信ができなければ、活動の指示を出せないと思った。それには、まず自分の目で現場を見るしかない。

加納は隊員らとともに自分も山頂を目指すことにした。一緒に登れば状況を見ながら責任をもって撤退の判断を下すこともできる。指揮支援隊長は現地指揮所で指揮支援隊員からの報告を受け情報を整理し、的確な指示を出せばいいが、緊急消防援助隊にとってかつて経験のない現場であること、現場の情報がほとんどないこと、そして指揮官としての責任感が加納に自ら登ることを決断させた。目指す山頂は標高3067mという厳しい現場。59歳の加納が自ら登ると聞いた隊員らはあっけにとられた。

山頂へ

28日早朝、長野県側の陸上隊は王滝口登山道(王滝村)と御岳ロープウェイのある黒沢口登山道(木曽町)2つの登山道に分かれて頂上を目指した。

王滝口登山道は東京都隊と静岡県隊の13隊61人、県内消防9隊33人、自衛隊92人他化学防護隊1隊等、警察26人が王滝頂上山荘を目指す。黒沢口登山道は山梨県隊と愛知県隊の14隊67人、県内消防10隊36人、自衛隊93人他化学防護隊1隊等、警察16人、それに山頂付近の救助ではトリアージの必要があることから、災害派遣医療チーム(DMAT)の医師1名が御嶽頂上山荘を目指す。

指揮支援隊長の加納は黒沢口登山道で活動する愛知県隊に同行することにした。7時30分、王滝口からの活動隊は愛知県隊の名古屋市消防局ハイパーレスキューを先頭に登山を開始した。自衛隊チームの先頭には愛知県隊の4名がつき、火山性ガスを検知しながら先導した。

参加隊員の服装はさまざまで、愛知県隊の隊員(この日は名古屋市消防局のみ)は、救助服や活動服の上に防火衣の上衣をはおり、ヘルメット、ゴーグル、マスク、足下はトレッキングシューズではなく半長靴という通常の服装に救助資機材を持っている。愛知県隊は山岳に対応する資機材は持っておらず、当初は空気呼吸器を背負って登るという指示があったが、重さで活動中にかかる負荷が大きいという加納の現場判断でゴーグルと防塵マスク着用に指示を変更した。

遠く噴煙が立ち上る御嶽山を目指し、ガス検知を行いながら黙々と山道を上がっていく。登山道は灰で白くなっているものの、最初は硫黄臭もなく、秋の青空の下、鮮やかな紅葉が続いていた。だが、山頂が近づくと景色は一変。周囲の風景がモノトーンの世界に変わった。噴石が作った丸い跡が無数に確認できる。しかも酸素が薄い3000mの環境下での防塵マスク着用が呼吸を妨げる。火山性微動は感じなかったが、再噴火の可能性は排除できない。ゴーと続く音が安定していたのが心の救いだった。自衛隊のヘリコプターも7機出動して救助活動を行っており、途中、石室山荘直前で自衛隊のヘリコプターが要救助者2名をピックアップするのが見えた。

御嶽山噴火災害 緊急消防援助隊
9月28日、火山性ガスを検知しながら自衛隊チームを先導する愛知県隊第1次隊。
11時30分、山頂での活動開始

登山開始から約4時間。ガス検知を行いながら行けるところまで行こうと進み、結果的に山頂まで行くことができた。早朝のミーティングで決めた活動方針に従い、各組織の隊は検索活動を開始した。

間近に上がる噴煙。付近は20~30cmもの火山灰が降り積もり、ところどころ水気を含んで泥のようになっている所もある。ふもとは抜けるような青空だったが、山頂では強風が吹き、風で舞い上がる灰が視界を遮る。

事前に情報を得ていたように剣が峰山荘で4名、御嶽頂上山荘で1名、計5名の要救助者を確保。また、山小屋に残っていた山荘スタッフの案内を受けながら捜索していると、一ノ池の近くで光るライトが動いているのを隊員が発見した。合図を送ると反応がある。屋外で奇跡的に生き延びた生存者を救助した。この1名を加えた6名を自衛隊のヘリコプターで無事に搬送した。

活動の過程で登山道や小屋の周辺、神社前などに25名の心肺停止者を確認していたが、今まず優先すべきは生存者の捜索・救出だった。しかし、これだけの心肺停止者をどう搬送するかは大きな問題だった。救助資機材を持って登った隊員が心肺停止者全員を人力で搬送するのは不可能に近い。加納はその対策を模索していた。

しかし、下山する時間は迫っていた。活動を開始してまだ5時間だったが、下山するには約3時間かかることを考えると活動時間はこれまでだった。また火山灰で滑る不安定な足場の救助活動に加え、登山に不向きな半長靴は足の負担となり下山に苦労する隊員もいた。

消防隊を自衛隊ヘリで山頂に

9月29日、救助開始2日目。隊員を送り出した加納は、長期化するであろう緊急消防援助隊の救助体制確立に奔走する。噴火した山での救助活動という困難な環境を実際に体験した加納は、現場に出動している陸上自衛隊・警察(長野県・岐阜県)と密接に連携する必要性を感じていた。そこで自衛隊が宿営している王滝村役場に出向き、陸上自衛隊に協力を依頼した。陸上自衛隊は人数も多く高能力のヘリコプターを持っている。空中機動力を活かして全国に緊急展開する専門の部隊がある。CH-47など輸送能力の高い大型ヘリコプターもある。

しかし、陸上自衛隊は噴石の間に埋まっている心肺停止者の救助に戸惑っていた。

それならば、高度救助資機材を持つ消防を陸上自衛隊ヘリコプターで山頂に運ぶのが最も効率がいい。削岩機やハンマードリル等を用いた噴石の除去やロープ、スケッドストレッチャーを用いた要救助者の搬送は消防の救助隊が得意とするところだからだ。

こうして消防が救出を担当し、消防の隊員と資機材を陸上自衛隊が空輸するという協力体制ができあがった。この作戦は早速翌日から実施することになり、9月30日7時に自衛隊ヘリコプターを離陸させる手はずを整えたが、当日は火山性微動が止まらずキャンセル。10月1日から大規模な活動が展開された。

警察も得意分野を発揮して活動し、入念な聞き取り調査や駐車場に残された車から、16人の不明者の把握と、どの辺にいるという詳細な情報を提供した。それらの情報を元に、翌日の行動を決めていった。

緊急消防援助隊の現地指揮所は木曽広域消防本部内に置かれていたが、ここからは御嶽山の山頂の様子が見えないこと、さらに陸上自衛隊や警察(長野県・岐阜県)との連携を深めるために、10月1日から王滝村役場に設置され現地合同指揮所に指揮支援隊の活動場所を移した。

緊急消防援助隊の活動では他組織との連携については何も決められていない。現場で初めて顔を合わせ、そこで何をするのかを決めなければならない。それを現場で調整していくのが、指揮支援隊長の役割で、「それぞれの部隊が得意分野で力を発揮して効果的な活動ができた」と加納は言う。

効率のよい活動のために

加納は各機関の調整と同時進行で、後方支援資機材として活動が安全に行えるようトレッキングポールを調達し、現場に送るなど支援体制も整えた。また緊急消防援助隊の宿営地は当初は開田高原の開田レクスポセンターが用意されていたが、自衛隊の宿営地である王滝村の松原スポーツ公園まで距離30km以上、時間にして約1時間もかかってしまっては密な連携は不可能と考えた。そこで9月30日から緊急消防援助隊の宿営地をおんたけ2240スキー場にあるロッジ三笠に変更した。

加納ら指揮支援隊1次隊は現地で9月28日から9月30日まで3日間活動し、後方から救助活動を支援するために名古屋市消防局の業務に戻った。御嶽山での活動をふり返って加納はこう語る。

「今回のような想定を大きく越える災害でも、現場に近いところまで行って確実な情報を収集するという基本の重要性を強く感じた。緊急消防援助隊は勤務している隊員を出動させるわけだが、時間との勝負。行くと決めたら早く行き、その場で最善の活動をする。さらに、一人でも多くの方を助けるという消防の使命と隊員の安全確保との間で激しい葛藤を経験した。今回は『山の上にいる怪我人を降ろす』というターゲットが明確だったことが、他隊とのスムーズな協力関係構築の要因だった」

以後、名古屋市消防局からの指揮支援隊は10月16日に活動を終了するまで交替で計13隊39人が派遣された。

緊急消防援助隊 指揮支援隊  隊長 加納利昭

緊急消防援助隊 指揮支援隊 隊長 加納利昭

名古屋市消防局 消防部長 消防正監

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