Special
【ドキュメント】御嶽山噴火災害
―陸上自衛隊―
陸上自衛隊のべ7150名、泥まみれの活動
「全員を探し出したい」一心で捜索活動を続けた自衛隊
3000メートルを超える山頂の噴火現場での人命救助という前例のないミッションにおいて、自衛隊は自衛隊にしかできない高度な活動を次々に展開した。自衛隊ヘリ以外では不可能だった吊り上げ救助、レスキュー隊員の山頂への輸送。そしてマンパワーを生かして降灰舞う現場で行った捜索活動。今回の御嶽山噴火災害では、隊員約600名(のべ7150名)、車両約130台、航空機17台を動員し、21日間にわたる決死の活動を行った。
(注)UH-60JAは他の御嶽山噴火の関連記事ではUH-60、CH-47J/JAは他のページではCH-47と表記しています。
Jレスキュー2015年1月号掲載記事
文◎竹内修
現場活動写真◎陸上自衛隊
陸上自衛隊 第13普通科連隊の活動
山岳に強い地元の部隊でも苦しんだ火山灰と大型台風
山地に強い第13普通科連隊
記者:噴火した当日の14時31分、災害派遣法が適用され、真っ先に陸上自衛隊の第13普通科連隊に出動要請が入ったが、第13普通科連隊とはどのような部隊なのか?
連隊長・1等陸佐後藤孝(以下、後藤):第13普通科連隊は第12旅団隷下の普通科部隊で、長野県の松本駐屯地に連隊本部と本部管理中隊が置かれている。連隊は本部管理中隊のほか3個中隊で構成されており、第1中隊は長野県南部の南信地区、第2中隊は長野県東部の東信地区、第3中隊は長野県北部の北信地区の警備を担当している。担当しているエリアが長野県という山の多い地域ということもあり、平時より各中隊とも年に1~2回、それぞれが担任する地域の山岳で訓練を行っており、また検閲なども含めて、山地機動訓練はほぼ通年で行っている部隊だ。
記者:御嶽山への災害派遣は、どのような流れで行われたのか?
後藤:27日の14時31分に長野県知事から第13普通科連隊長に災害派遣が要請され、まず15時25分にFAST-Force(ファストフォース)が松本駐屯地を出発した。
記者:FAST-Forceとは?
後藤:自衛隊では自然災害が発生した際に常時即応可能な初動対処部隊を、全国の駐屯地などに待機させており、その部隊をFAST-Forceと呼んでいる。FAST-Forceは災害発生から2時間以内に出動できるよう、24時間態勢で待機している部隊だ。今回出動したFAST-Forceは主体となる先遣小隊と救護班、無線通信の中継班など約30名で構成された。
記者:今回出動したFAST-Forceは、山岳での救難活動に特化した部隊なのか?
後藤:ご承知のとおり、長野県には山岳救助の能力が極めて高い長野県警察の山岳救助隊がおり、通常われわれは山岳での救難は行っていない。このため今回出動したFAST-Forceも、山岳での救難活動に特化した編成ではなく、通常の自然災害発生を想定した編成の部隊だった。
まずは先遣隊が活動
記者:先遣小隊に課されていた任務は?
後藤:どのような現場で、被災者はどのぐらいいるのか、といった情報収集と、主力部隊が活動するための基盤の構築すること。噴火が発生した27日は、FAST-Forceに続いて17時40分には約30名の隊員と車両約20台で構成された第3中隊の捜索部隊が、長野県側の登山口の一つ、黒沢口へ向けて駐屯地を出発した。続いて21時20分には、約90名の隊員と車両約20台からなる第1中隊の捜索部隊も、もう一つの登山口であるの田の原口に向けて駐屯地を出発している。第3中隊は27日中に黒沢口へ到着し、翌日の救難活動に備えて待機した。
28日から本格活動開始
記者:噴火した当日は県の方針で、結局入山せずに、翌日の活動に備えて登山口付近で待機することになっていたということだが、28日はどのような救難活動が展開されたのか?
後藤:早朝の午前5時45分には、黒沢口と田の原口から頂上を目指して徒歩により前進を開始した。山頂に近い田の原口から入った第1中隊の捜索部隊が最初に到着し、続いて黒沢口から入った第3中隊の捜索部隊が到着し、救難活動を開始することになった。28日はまだ逃げ後れて山頂付近の山荘に避難していた登山者が多数いたことから、第1中隊はまずは警察と協力して自力下山する登山者達の誘導と、第12ヘリコプター隊のUH-60JAによるホイスト救助の支援を担当した。28日はまだ火山灰の噴出が多く、ヘリコプターの接近が困難な状況だったため、ヘリコプターは着陸せず、ホイストで救助できる噴火口から少し離れた場所まで負傷している要救助者を担架で搬送しなければならなかった。第3中隊は剣ヶ峰東側の石室山荘に到着後、剣ヶ峰北東の二ノ池本館付近の救助活動を担当した。
二次被害だけは起こすな
記者:自衛隊はあらゆる大規模災害に出動しており、過去にも様々な状況で災害対処活動を行ってきたが、その経験を踏まえると、今回の災害派遣で困難だった事はどんな部分にあるか?
後藤:これは自衛隊だけでなく警察や消防にも共通して言えることだが、再噴火が起こらないともいえず、有毒性の高い火山性ガスも噴出し続けていたため、とにかく二次災害による被害発生を避けることを大前提として任務にあたった。第13普通科連隊は東日本大震災の災害派遣で、東京電力福島第一原子力発電所の事故の対処を担当した隊でもある。その際は被ばくという二次災害を防ぐため、常に放射線量を考慮しながら作業にあたった。今回は二次災害の脅威となる対象が再噴火と火山性ガスだったわけだが、福島第一原子力発電所の時と同様、状況の変化に細心の注意を払いながら、任務にあたったという点は共通している。
再噴火に関しては、長野県の対策本部から提供された火山性微動の情報に加えて、目視で黒い噴煙が上がっているのが確認された場合にも、念のため後退した。常に二次災害に注意を払いながら、要救助者をいかにして迅速に救出するかが今回の災害派遣で最も難しい点だったと言えるだろう。また、降雨の後は泥濘化した火山灰との戦い、終盤には降雪や凍結など、刻々と変化する状況への対応も難しかったと言える。
泥濘化した火山灰との格闘
記者:今回の現場では火山性ガスのリスクもあったが、どんな装備が役に立ったか?
後藤:火山性ガスというのは、主に硫化水素と二酸化硫黄だが、濃度が高くなると硫黄臭がしなくなり、また吸い込むと命の危険があったので、防毒マスクの装着が求められた。大量に必要となったので、急遽手配し、28日の夜に捜索部隊全員分の防毒マスクを揃え、29日の捜索活動から全員が着用して捜索活動にあたった。
活動中期以降に導入された装備もある。10月2日に台風11号と12号が接近し、激しい降雨により捜索・救助活動が中止され、4日から捜索・救助活動が再開されたわけだが、活動の中期以降は雨の影響で捜索の現場の状況が一変した。雨で火山灰が泥濘化したのだが、その粘度は通常の泥、たとえば田んぼの土の比ではなかった。一歩足を踏み入れると、半長靴が泥によって脱がされてしまうのではないかとすら感じるほどだ。その粘度の高い泥濘化した火山灰が、場所によっては膝や腰の高さまで積もっており、活動は困難を極めた。このため使い捨ての脚絆を調達し、被服や靴に泥濘化した火山灰が入らないようにして活動を行った。
記者:そのような状況下で、行方不明者の捜索はどのようにして進めて行ったのか?
後藤:探査棒による捜索のほか、地雷探知機も使用した。今回の活動で使用した地雷探知機は89式地雷探知機(画像型)というタイプで、従来の地雷探知機は音の大きさで金属の位置を特定していたが、89式地雷探知機(画像型)は電波と磁気によって金属を画像として捉えることができるのだ。反応のあった画像の大きさなどによって要救助者かどうかを見分けることができるという事なのだ。
連携を円滑にした顔の見える関係
記者:今回の救難活動にあたっては、警察や消防との連携が必須だったと思うが、自衛隊以外の機関とはどのように連携を取ったか?
後藤:27日の深夜に王滝村役場の対策本部で、木曽広域消防本部と長野県警察、長野県の木曽地方事務所の方々と、翌日からの捜索要領の調整を行った。また隊内の連携に関しては、第13普通科連隊全体をコントロールする連隊本部の機能を持つ前進指揮所を当初木曽町に、後に王滝村役場に設置し、救難活動にあたった第1および第3中隊の指揮を執った。
記者:前進指揮所では連隊長自身が指揮を執られたのか?
後藤:私はアメリカで実施された日米共同実動演習「ライジングサンダー」に参加しており、実は噴火の発生時には日本にいなかった。米国で第一報を聞き、28日の16時に成田空港到着後、その足で駐屯地へ一時戻り、29日の午前1時過ぎに現地に入り、そこから指揮を執っている。
記者:警察や消防といった他の機関とは、日頃から災害対応の共同訓練などを行っているのか?
後藤:消防とは日頃から共同防災訓練を行っているし、その事前会議などでも担当者が顔を合わせる機会は何度もある。また警察とは災害救援以外の共同訓練も行っているので、指揮官以下のレベルでも各機関の担当者との交流はある。今回のような大規模災害では、自衛隊と各機関の密な連携を取る必要があるが、その点において共同訓練などで培われた関係が、連携を取る上で有利に働いたと思う。
隊員の健康管理は食事と休養で
記者:今回の災害派遣は21日間と長期にわたったが、隊員の士気を保つ上で配慮した点は何か?
後藤:隊員の健康を保つことには非常に気を配った。短期の災害派遣の場合、食事はレトルトパックの戦闘糧食で済ませることが多いが、今回は野外炊具を現地に派遣して、不足しがちな野菜を含めた温かい食事を隊員に供給した。朝と昼は現場に行くため温かい食事を供給するわけにはいかなかったが、夕食はご飯と味噌汁、野菜を含めたおかずという、栄養バランスのとれた食事を用意した。また、1日の疲れを和らげるために、野外入浴セットも派遣している。通常の災害派遣では天幕(テント)露営を行うが、今回は王滝村の好意により体育館や公民館をお借りできた。建屋内で生活することができたことは、隊員の健康維持の面で大きかったと思う。
ただ、いかに通常の災害派遣よりも良好な環境とはいえ、隊員に疲労が蓄積することには変わりはないし、また台風の後の救助活動では泥だらけになっての活動となったため、装備の整備を行う必要もあった。このため捜索隊員は2日間任務に就いた後、新たに派遣された隊員と交代して一旦駐屯地に戻り、休養と装備の整備などを行うという形のローテーションで任務にあたらせた。
第13普通科連隊は厳しい任務を完遂できる部隊
記者:隊員の方々の活動を指揮官としてどう見るか?
後藤:みな強い使命感をもって任務にあたっており、困難な状況に置かれた要救助者の方々を助けたいという強い気持ちを感じた。また、駐屯地の警備や、他に災害などが発生した場合に備えるため現地に派遣されなかった隊員の中からは、是非自分を現地に派遣して欲しいという声が数多く上がった。
第13普通科連隊は「厳しい任務に即応する。その任務を完遂できる部隊となるために、訓練によって練度を維持向上する」事を隊の方針としている。今回の災害派遣では、現地に派遣された隊員も、他の任務を遂行するため現地に派遣されなかった隊員も、その方針に基づき、同じ気持ちを持って事態に対処したのではないかと思う。
1等陸佐 後藤孝
陸上自衛隊 第13普通科連隊長兼 松本駐屯地司令
次のページ:
陸上自衛隊 第12ヘリコプター隊の活動