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【ドキュメント】御嶽山噴火災害
―東京消防庁―
登山初心者にも人気の風光明媚な山「御嶽山」が突然牙を剥いた。
火山ガスが噴出し続ける噴火口を背に、二次災害のリスクを抱えたまま消防・警察・自衛隊は合同救助隊を編成して救助活動に臨んだ。酸素の薄い3000メートル級の山の山頂で、滑落、ガス中毒、高山病、低体温症と戦いながらの活動はどれほど過酷であったか? 彼らの救助にかける思いは?
消防、警察、自衛隊、医療の各プロフェッショナルに訊いた。
Jレスキュー2015年1月号掲載記事
降灰、火山ガス、雨雪に阻まれた21日間の救助活動
平成26年9月27日(土)11時52分頃、御嶽山が噴火した。直径数十センチメートルの無数の噴石が凶器となって灰とともに登山者の頭上に降り注ぎ、死者57名、行方不明者6名、負傷者69名(平成26年10月23日時点)の大参事となった。
今回の噴火は、御嶽山では平成19年3月に起こった小規模な噴火以来で、火山の中でも予測の難しい水蒸気爆発だった。
御嶽山は長野県と岐阜県の県境に位置する標高306mの山だが、標高2000m辺りまでロープウエイや車道が整備されており、標高の割には初心者でも登りやすいハイカーに人気の山の一つである。噴火が発生したのは紅葉シーズン真っ盛りの土曜日。しかも昼前であったことから、山頂で昼食をとろうとする登山者が多数おり、これも戦後最悪の噴火災害となった要因の一つであった。
3機関が合同救助隊を編成
噴火が発生した当日、長野県側では地元の木曽広域消防本部、長野県警察機動隊がいち早く7合目の登山口まで救助に向かったが、火山ガスによる二次災害の危険があったため、当日の救助活動を断念。自衛隊のヘリも、噴石が飛ぶ中、当日は噴火口付近に近づけなかった。岐阜県側は、救助に向かった岐阜県警察山岳警備隊3名が登山客とともに五の池小屋に残留。山小屋へ救助に向かった下呂市消防本部は、27日の活動を断念した。
同日、木曽広域消防本部は長野県内本部からの応援隊の出動を要請し、木曽広域消防本部を除く県内全13消防本部から39隊が出動。県も緊急消防援助隊の出動を要請し、翌日早朝4時までに東京都、山梨県、静岡県、愛知県の各都県隊から計50隊214名が進出拠点である道の駅「木曽市場」に集結した。指揮支援隊は、東京消防庁隊と名古屋市消防局隊の2隊が出動。東京消防庁隊は指揮支援部隊長として長野県庁の消防応援活動調整本部に入り、隊員の安全確保のための活動中止・再開の基準を作成し、これに基づき活動の判断を関係機関と検討・調整した。名古屋市消防局指揮支援隊は、被災地消防である木曽広域消防本部に参集して指揮支援活動を実施した後、王滝村役場の現地合同指揮所で自衛隊、警察と調整を行い、緊急消防援助隊各隊の活動管理等を行った。
警察は長野県警察、岐阜県警察から機動隊、山岳警備隊、広域緊急援助隊、航空隊等の部隊を派遣。陸上自衛隊も同日のうちに災害派遣法が適用され、陸上自衛隊第13普通科連隊(松本)が出動。被害は長野県側に集中していたことから、翌28日は消防、警察と陸上自衛隊が合同救助隊を編成し、7時40分より王滝口と黒沢口の登山道から登頂を開始した。
岐阜県警察は、28日の早朝4時30分から山岳警備隊等9人が市職員14人およびDMAT2人とともに登頂し、五の池小屋に避難していた登山者をヘリと徒歩で救出した。
天候に阻まれ中断
28日までに約190人(長野県側約160人、岐阜県側30人)の生存者の下山が確認され、消防庁の調べによると負傷者は69人(重傷者29人、軽傷者40人)であった。
各登山口から山頂まで、陸上ルートでは2~4時間程度かかっていたが、10月1日より救助部隊の輸送に陸上自衛隊の大型輸送ヘリCH-47が2機投入され、山頂での捜索時間は格段に伸びた。しかし、降雨により現場は一変。降灰は泥状になり、足場はぬかるみ、捜索活動は日に日に難航していった。
消防は10月14日に緊急消防援助隊の富山県隊と岐阜県隊にも出動を要請し、警察も15日の捜索から警視庁の機動隊が加わり隊を増強して臨んだが、15日は天候不順のため活動は昼前に中断。基準の3倍近い二酸化硫黄も検出されていた。16日には後方支援も含めると最多の1961人体制で捜索を再開したが、山頂には5cmの積雪があり、寒さと雪の中での活動に体調を崩す隊員も出てきたことから、阿部守一長野県知事は16日午後に捜索中止を決断した。これにより、21日間に及んだ救助活動は行方不明者6名を残し、10月17日にひとまず中断された。
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山岳救助事象+C災害(NBC特殊災害)