消防のためのダーティボム入門<br>―その歴史、検知から除染まで―<br>前編

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消防のためのダーティボム入門
―その歴史、検知から除染まで―
前編

本誌の連載「世界のCBRNe 最新トピックス」の著者の浜田昌彦氏の記事をWebでも公開。「消防のためのダーティボム入門」を前後編で掲載する。

写真・文◎浜田昌彦(写真は特記除く)

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はじめに
消防として知っておきたい歴史と核との違い

言い方としては、RDDすなわちRadiological Dispersal Devicesとした方が正確なのかもしれない。放射能拡散装置である。

いまだに、核兵器と混同してしまう向きもあるようなので驚いてしまう。核は大量破壊兵器だが、このRDD、あるいはダーティボムは、時として大量いやがらせ兵器、すなわち「Weapon of Mass Disruption」と呼ばれることもある。使われたとしても、広島の原爆のように即座に何十万人が死ぬということはない。それでも、だんだんとその影響は広がっていき、さまざまのガンの患者は増えるだろう。広い範囲で人が住めなくなってしまうかもしれない。

福島第一原子力発電所事故が、地震と津波によって引き起こされた巨大なダーティボムだったとすれば、その様相は理解できると思う。それによって即死した人々は、地震と津波によるもの以外はほとんどいないだろう。放射能によって死んだという話も聞かない。一方で、エリアの除染は進まず、汚染度や汚染水の最終処理はまだ続いている。その努力とコストは膨大である。だからこそ、アメリカをはじめとする主要国は、(日本を除いて?)RDDの脅威に真剣に取り組んでいる。そこまでやるかというくらいのレベルである。

福島県双葉郡大熊町のオフサイトセンター前での筆者と、陸上自衛隊中央特殊武器防護隊の岩熊真司1佐(所属は当時)。

このアメリカとRDDの歴史を振り返ってみれば、このダーティボムと核兵器がまったく関係なかったわけではない。第二次大戦中にドイツと戦いながら、アメリカはマンハッタン計画を始動させた。しかし、核兵器の開発が間に合わないリスクもあった。そこでアメリカは、間に合わなかったらドイツのルール工業地帯などの戦略的な要衝に上空から放射能、ストロンチウムを撒くというプランを考えていた。そのプランを発案した一人が、有名なコンプトン博士である。

アーサー・ホーリー・コンプトン博士

アーサー・ホーリー・コンプトン博士

写真はWikipediaより引用

開示されたレターにあったもの

1943年10月にコンプトン博士らからマンハッタン計画を率いたレズリー・グローブス准将へ宛てたメモが、1974年に開示された。

なお、コンプトン博士が発見した「コンプトン効果」とは、X線を物質に当てたとき、散乱X線の波長が入射X線の波長より大きくなる現象である。

さて、レターに書かれていたのは、現在のRDDにもそのまま当てはまる以下のような話であった。

《化学兵器のように吸入させれば、この兵器はほんの少量で死に追いやることができる。百万分の一グラムで十分だろう。治療法もなく検知手段もない。微細な埃や煙で使える。この放射能兵器は結構使える。避難地域から人を追い出したり、飛行場、鉄道ターミナルのような緊要な地域を汚染したり、部隊にそのままかけてもいい。大都市に撒いて、パニックにしたり、市民を病気にしたりもできる。さらに、汚染地域はずっと危険なままで、風や車両の通行で巻き上がり、危険度を維持する。水源や井戸を汚染すれば、吸入させるのと同じ効果がある。4日もあれば、100万ガロンの水を汚染できるだろう。この水を一杯のめば、1カ月で廃人となるか死ぬかだろう》

さて、この文面にどんな印象をお持ちだろうか。もちろん、核兵器は間に合ったし、ナチスドイツは早々に降伏してしまった。だから、歴史上初めてのRDDがドイツの国土に降ることはなかった。なお、米陸軍は朝鮮戦争においても、途中から参戦した中国軍阻止のため、中朝国境に放射性物質の阻止帯を設置することを意見具申したが、米国政府はこれを却下している。

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1993年以降で4000件以上のRDD関連事件が起きている

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