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【コラム】ランクル消防車「ポン太」と北海道の旅
―第3回目―
子供の頃の夢。
小学生の卒業文集に“消防士になる”と書いた。
しかし、中身をよく読むと“消防車でドライブがしたい”という極めて不純な動機で消防士を目指していたことがわかる。
この夏、その夢を果たしに僕は34年落ちのトヨタ・ランドクルーザー(通称・ランクル)60系の元消防車「ポン太号」で北海道へ13日間の旅に出た。
写真・文◎UsUk
2024年9月6日(9日目)
朝になると外は晴れていた。
昨晩とは打って変わって静かになった海がそこにはあった。
コーヒーをひと飲みして風光明媚な海岸線を走る。
今日の目的地は新得町のR氏の家。
明日と明後日、ランクルの集まりがあるようで前泊させてもらうことになっている。
新得まで直行してもいいが、時間がある分、寄り道をしながら向かうことにする。
国道38号線で海岸沿いを白糠、庶路と駆け抜ける。
休憩しながらナビを開くと、この先に「昆布狩石展望台」という場所があるようだ。名前がかわいいので向かうことにした。
国道38号線から分岐した道道1038号線。
そこから林道の入り口のような場所を入り砂利道の急斜面を上る。
えっちらおっちらたどり着いた先には小さな看板が一つ。
展望台などない。路肩の一角を展望台と称している。
しかし、その“展望台”から望む海は、あまりにもきれいだった。
せわしなく押し寄せる波も上から望むとけなげに感じる。
いちいち、大層な展望台なんぞこさえなくても美しい自然で魅了してくる北海道は恐ろしい。
そんな青空の下、若い一行に声をかけられる。
「かっこいい車ですね」。
彼らは東京からの大学生。4人とアテンドさんの5人組。そして、4人は今日の飛行機で東京方面へ帰るという。
なぜ、こんなところに若者グループが……。
彼らの目的は調査だという。現在、「介護のマッチングアプリ」を作って運用に向け調査しているとのこと。
現地で必要とされるサービスを実際に目にするために、この街に訪れているという。
この先、日本が直面する難しい課題に挑戦する若者がいることに感心した。
彼らのような若者が活躍してくれる。そんな日本であってほしい。
彼らと別れた後、浦幌町へ向かった。
先の若者たちに感化されたことは間違いない。素敵な町だった。
そして、どうやら浦幌消防署には古い消防車があるという。
現地に行くとやはりあった。「ウニモグ」の消防車。
初めて見る車両に心が躍った。
過去の出動回数は少ないものの、山林火災や救助の際に必要な車両であるという。
しかし、維持費の高さや部品供給の難しさから、あと5年あるかないかということらしい。
更新後に引き取りたいが、さすがにウニモグは手が出しにくい。
後ろ髪をひかれながら浦幌町を後にした。
そのころ、東京の友人K氏から電話が入る。
「今、北海道いる。新得のR氏たちと今夜一緒にご飯食べるけど来るかい?」というお誘いだった。
それは、ありがたい話なので乗った。
しかし、まだ時間があるため友人に渡す土産を買いに、足寄へ目指して幕別町から国道242号線に乗った。
「道の駅 あしょろ銀河ホール21」。旧駅舎を改造して道の駅として使っている。
道の駅に入ろうとした瞬間、前から見覚えのある車が来た。間違いない、東京のK氏だ。
ランクル界では名の知れた彼。ばったり、北の大地で会ってしまった。
彼は、ランクルのカレンダーを販売するために北海道を行商していた。
趣味に全力すぎて日本中を駆け回る。そんな彼は北海道さえ近場と話す。
私と彼はそのまま上士幌の温泉に向かい、汗を流した。その余韻を感じるまま帯広に向かった。
ディナーの会場は「ひっさん家」。
旅の前半、大樹町でばったり会ったH氏の店だ。
一流のシェフの料理に舌鼓、酒がないのに楽しい空間。
次に来たときは「カロリー丼」を口にしたい。
22時。
宴もたけなわ縁もたけなわ。
明日も朝が早いため、私とR氏は彼の家へ向かった。
深夜1時過ぎ、部屋の一室を借りて眠りについた。
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旧万治駅をたどり、ランクル仲間との集い。