ダンプカー陸橋接触・落下事故<br> ―52トンの橋桁の下からの救出―

Special

ダンプカー陸橋接触・落下事故
 ―52トンの橋桁の下からの救出―

Twitter Facebook LINE

長時間の緊張活動を乗り越えて

「8時間を越える救助活動になった。救出は目標にしていた日没までという期限を過ぎてしまったが、二次災害もなく、隊員の怪我もなく終了できたことは、活動隊を評価したい」と伊藤指揮隊長は語る。

経験したことのない長時間の救助事案になり、隊員のPTSDが心配されたが、後日、出場隊全員にアンケートを実施したところ問題はなかった。しかし今後も長い目で隊員の状態に目を配る必要があるという。

救助隊長も、隊員のケアを含めて密なコミュニケーションを図っている。「安定が図られているとはいえ緊張状態が続く救助事案になったが、むしろ困難な事案に挑み、やり抜いたといった前向きな考え方が隊員に多いことに頼もしさを感じている」と語る。

全国的にも希な今回の事例は、指揮隊の経験値を高め、同様の事案に対する深谷市消防本部の対応力を高めたことにとどまらず、今後、報告書の共有や検討会を通じて、市消防本部の貴重な財産として継承され、組織の力になっていくに違いない。

伊藤喜之
深谷市消防本部 深谷消防署 中隊長 消防司令長
深谷消防署指揮隊と救助隊長

この経験を今後に活かしてほしい

Profile

田中章

田中章深谷市消防本部 消防長 消防正監

昭和34年5月、埼玉県深谷市生まれ。
昭和54年10月、東京消防庁、消防学校初任科518期生として牛込消防署拝命。昭和57年8月、東京消防庁板橋消防署特別救助隊、昭和62年8月深谷市消防本部(旧寄居地区消防本部)拝命。平成29年4月深谷消防署長、平成30年4月1日深谷市消防本部消防長。

2018年12月15日の事故は、深谷市利根川にかかる解体工事中の旧上武大橋の橋桁落下により、救助活動も長時間に及ぶ過酷な状況だった。当初は署内の画像伝送装置モニターを見ながら、現場の指揮隊と連絡を取り合っていたが、消防署長、警防課長と話し合い、共に現場に入り、活動のタイムラインと安全確実な救助アプローチを指示した。

消防長自ら現場に赴くという事例は、深谷市消防本部の歴史上初のこと。それほど今回の事例が特殊だったということの証だ。

当初、現場では大型100tクレーンを手配し、救助開始は24時間以降という方針が検討されていた。工事現場側はこれ以上被害者を出したくないし、資器材も壊したくない。このまま現場を温存して、橋脚を安定化するか排除してから救助に着手することを望んでいた。これは100%リスクのない方法だ。しかし救助が長引けば長引くほど、現場の安全管理も困難になってしまう。また要救助者を一刻も早く家族の元にお返しすることが、我々に課せられた大きな使命なのだ。

私は東京消防庁に勤務していた昭和50年代、大型クレーンが倒壊し、下敷きになった要救助者を救出するという事案に対応した経験があった。その経験を思い出しながら、指揮隊に「固定する、空気を抜いて空間を作るなど現場の機材を使って安定化を図れないか? 知恵を絞って方法を探り対処できないか……」といったアドバイスをした。指揮隊長は現場で調達した重ダンプや重機、鋼材などで橋桁の安定化を図り救助を開始してくれた。

一歩間違えば、二次災害の発生や活動隊が危険にさらされる可能性もあった。我が署では隊員がこれほどの大規模災害に対応するという経験がなく、もちろん過去の事例でもなかった。直接救助に着手するのは隊員の仕事だが、我々管理者側も救助体制と安全管理体制を確立し、できることのなかで最善を尽くすことで、まさにオール深谷消防で対応することができた。

今回のような社会的影響が大きい事案では、早期終了させることが深谷市のイメージを守ることにも繋がる。その意味で「日没までの救助完了」という、ややもするとプレッシャーとなるかもしれない命を下したが、各隊がそこを目指し最善の努力をしてくれた。

今、全国的に多くの災害事例経験を持つ職員が定年を迎え次々に退職していくなか、消防力の低下が危惧されている。さらに地方レベルで考えれば災害事例が減ったことで、現役隊員の絶対的な経験値も不足している。隊員個人に求められる臨機応変な対応力をどうやって受け継いでいくか。これはどの組織も抱えている問題ではないだろうか。自分の地域で事例がなければ他本部の事例に学び、互いに経験を共有して引き出しの中身を充実させていくことが重要だ。

一方で近年の自然災害による大規模災害対応能力や、広域化による部隊運用能力は向上している。深谷市消防本部では、どんな事例にも正しく判断して活動できる隊員の育成を目指しており、今回の災害を経て、隊員の士気の高まりを感じている。大きな困難に立ち向かって、気持ちがひとつになった。

深谷市はふだんは大きな災害のない平和な地域だが、様々な状況に対応できるカードをたくさん持った隊員に育ってほしいと切に願っている。またこの機運を活かし、次世代に繋げていきたいと考えている。

暮れも押し迫った12月15日(平成30年)、深谷市消防本部の歴史上、最も困難な事故が発生した。 長期化する救出活動の難局を同本部はどう乗り越えたのか? その経過を追いながら、指揮隊の臨機応変な対応を見ていく。
文・写真(人物)◎小貝哲夫 災害現場写真・図◎深谷市消防本部提供 Jレスキュー2019年3月掲載記事

Ranking ランキング