想定外の事態が次々と発生!  どうする!? 熊本市消防局の震災対応<br>【熊本地震】

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想定外の事態が次々と発生! どうする!? 熊本市消防局の震災対応
【熊本地震】

4月14日21時26分に熊本地方を震源地とするM6.5、最大震度7の前震、
4月16日1時25分に熊本地方を震源とするM7.3、
最大震度7の本震を記録した熊本県から大分県にかけての地震は
「平成28年熊本地震」と命名された(平成28年5月末現在)。
この地震は、九州を横断する別府―島原地溝帯に位置する
布田川断層で発生した直下型地震(横ずれ断層型)で、
震源の深さが10kmと浅いことから、規模の大きな余震が多く、
5月20日7時現在、震度1以上を観測する地震が1512回発生している。
この地震による人的被害は、熊本県内で死者69名、重症者333名、軽症者1263名、
大分県、佐賀県、宮崎県、福岡県で重傷者が計12名、軽症者が55名となった。
(消防庁5月30日現在)
震源地に近い熊本県益城町では土砂災害は
熊本県を中心に土石流、地すべり、がけ崩れが計182件発生。
この災害に対して、消防、警察、自衛隊、DMAT、海上保安庁が
支援部隊を派遣し、捜索救助、救急医療、大規模な転院搬送を実施した。

活断層の真上にあり、多数の建物が崩落した益城町、西原村は、熊本市消防局の管轄である。熊本市内でも、重要文化財である熊本城をはじめ、大きな被害が出た。被災地消防となった熊本市消防局は課題に直面し、どう対応したのだろうか?

本特集は、熊本市消防局、阿蘇広域行政事務組合消防本部を始め、現場で救助救急活動に携わられた各府県緊急消防救援隊の方の多大なるご協力により記事にすることができました。誌面をお借りして、心よりお礼申し上げます。

【写真】薩摩川市内消防局(鹿児島県)撮影
救助活動ではブリーチングやショアリング、CSRの技術が駆使された。写真は倒壊家屋の屋根を下方穿孔し、屋内進入を試みる鹿児島大隊。

Jレスキュー2016年7月号掲載記事

写真◎熊本市消防局

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震度5弱以上で自主参集

4月14日21時26分頃、熊本市・益城町を中心とする熊本県全域を激しい揺れが襲った。熊本市内で震度5強、同局が業務委託を受けている益城町では最大震度である震度7、西原村では震度6弱を記録した。人口約74万人を擁する政令市消防である熊本市消防局の管内では、熊本地震災害で火災9件、救助116件、救急1169件が発生。24名*が亡くなった(5月9日現在)。

熊本市消防局には約796名(平成28年4月)の職員が1本部6署15出張所2庁舎に勤務しており、震度5弱以上の地震が発生した場合は、みずからの安全を確保したうえで各々の所属署所へ自主参集することが事前に決められている。前震発災時、中央区にある本部庁舎には119番通報を受け付ける情報司令課員7名が指令管制室にいるだけだったが、発生直後から自主参集のルールに従って続々と職員が集まり始め、局長以下部長、各課長等の職員が参集して情報司令課に消防局対策部を立ち上げ、通常体制から非常災害体制へと運用体制を切り換えた。

地区隊運用を適用

非常災害体制では、部隊運用を平時の「指令管制室ベースの運用」から「地区隊運用」へと切り替える。平時は指令管制室に119番通報が入電すると、指令台のシステムが出場車両の選定や隊の編成を行い、各署所へと指令を下す。だが大規模災害時は、119番通報が急増するため、指令管制室の一元管理では回線がパンクする可能性があるため、指令管制室は火災、救助、救急以外の事案は受けつけた内容を各署に流すのみとし、車両選定や隊編成は各署所が行う方法に変更する。これが地区隊運用である。

「各消防署が担当区の被害情報を把握し、無線で消防局対策部に連絡してくれたことで益城町の被害が大きいことが判明。被害規模の多い地区に重点的に応援部隊を出場させることができた。今回のような大規模災害では、おびただしい量の情報が多方面から集中するため、指令管制室では実際に現場で何が起こっているのかが見えにくい場合も多々ある。地区隊運用を適用したことで、マンパワーや資機材が限られたなかで、人員や機材をフルに活用できた」(警防課副課長 山口裕史消防司令長)

通報受付は22名態勢

指令管制室の指令システムも大規模災害モードへと切り替えた。平時は7名で運用する6台の指令台モニターを3分割し、18台対応にし、管制長4名配置の22名態勢で119番通報をすばやく受けられる態勢を整えた。入ってくる通報は、火災や家屋倒壊による生き埋め事案など急を要するものから、自宅のドアがあかない、電信柱の電線が切れている、ガス漏れ、自動火災報知設備のベルの鳴動、避難所の問い合わせといったものまで、実にさまざまだった。

予防部では重要度が異なるこれらの通報内容を整理するため、消防局対策部にトリアージ要員を15名配置。入電した情報を重要度別に区分、整理し、ホワイトボードに時系列で書き込んでいった。最重要ランクの事案に関しては消防局対策部で対応結果まで把握することを徹底した。

人が足りない!

熊本市消防局は今回の災害で、初の受援活動を経験した。緊急消防援助隊や県内相互応援協定(熊本県市町村消防相互応援協定)により駆けつけた消防本部の受け入れ調整、各機関との連絡調整、情報共有については、警防部警防課警防救助班の3名が中心となって、5~6名の警防課職員が引き受けた。14日22時5分に熊本県知事が緊急消防援助隊の出動を総務省消防庁に要請してからは、各県大隊がどれくらいの時間で到着できるのかを確認し、県の災害対策本部や進出拠点である熊本県消防学校(益城町)に連絡。消防学校は建物にヒビが入るなどの被害を受けていたが、学校職員からは拠点としての機能は問題ないとの答えが返ってきたため、予定通り進出拠点とした。さらに、福岡市消防局から出動する指揮支援部隊はヘリで到着するため、夜間でも着陸できるヘリポート探しに奔走した。結果的に着陸場所は夜間照明が使える国立病院機構熊本医療センターのヘリポートに決定したため、警防救助班の1人が迎えの車を走らせた。これらと同時進行で、各地から集結する緊急消防援助隊には無線連絡やタブレット端末を使って道路状況や通行可能ルートの情報提供も行った。

「圧倒的に人手が足りていないと感じた。だが、手の空いている職員などいるはずもない。全員が自分のなすべきことで手いっぱいという感じだったが、とりわけ警防課の負担が大きすぎた。そこで、県の災害対策本部に出向するリエゾンについては警防課だけでなく、各課の課長級と課員の計2名、市の危機管理防災総室に設置されている災害対策本部には1名を各課から交替制で派遣することにして、警防課がリエゾンからの情報をとりまとめた」(警防課 伊佐坂 真功消防司令)

熊本県内の消防本部は県内相互応援協定により、震度5強以上の地震発生で被災地消防本部に応援要請を待たずに応援隊を派遣することになっている。同災害では10消防本部31隊が15日0時45分に熊本県消防学校を目指して出動を開始した。熊本市内の災害については地区隊運用を適用すれば自本部でなんとか対応できそうだったので、自主参集してくる県内応援隊には被害の大きかった益城町で活動してもらうべく、益城西原消防署の現場指揮本部を活動拠点としてもらった。

本震発生 鳴り響く119番

だれもがこのまま収束を迎えるだろうと思っていた矢先の16日1時25分、前震と同じく熊本県熊本地方を震央とする地震が発生。再び益城町、西原村で震度7、熊本市中央区、東区、西区で震度6強、南区、北区で震度6弱を記録し、これが本震と判断された。熊本市消防局では前震発災以降は非常災害体制で部隊運用を続けており、指令管制室では14人態勢で通報に対応していた。警防課の伊佐坂も14日以降は局庁舎に泊まりこんでいたが、仮眠中に激しく長い揺れを感じて飛び起きた。

急いで消防局対策部のある情報司令課に向かうと、指令台のモニターが揺れのために大きくずれ、大型スクリーンの電源が落ちていた。通常、主要電源が落ちた場合にはバックアップとして非常用電源が自動で起動するのだが、大型スクリーンは切り替わるのにタイムラグがあり、なかなか電源が回復しない。しかし電話回線は生きているため、119番通報が鳴りだした。

だが、ここで119番通報を受けたとしても指令を打つことはできない。受けるだけで隊員を出場させられないのでは、よけいに住民を不安にさせるだけだろう。こうした考えから、情報司令課長の判断により職員は応援待機していたメーカー保守員と一緒になって消防指令システムの復旧に全力を注ぐとともに、各消防署所の被害状況と出場可能体制の把握を最小限の時間で行った。本震発災後、最初の119番通報を受けて消防署に向けて指令したのは、発災から約5分後のことであった。

15日から応援に来ていた県内消防本部については、本震で自本部の管轄地区も被害を受けているため、16日の8時をもって各消防本部への帰隊が熊本市消防局長から通達された。

指令台のモニター
4月16日の本震時、119番通報の受付に時間を要した。写真ではようやく指令台のモニターが復旧しているが、正面の大型スクリーンは依然真っ暗なままだ。
受援の難しさ

熊本市消防局では、前述の指令管制室の混乱のように、実際に被災してみないとわからなかったことが多々あったという。たとえば緊急消防援助隊の野営場所の確保である。

「熊本市へ応援に来る緊急消防援助隊の拠点(野営場所)として、消防学校は九州の各県大隊でいっぱいだった。そのためイベント会場の駐車場および市内区役所の駐車場なども野営場所として想定していた。しかし、避難してきた住民や車中泊の車がすでに集ってきており、とても野営に使える状態ではなかった」(伊佐坂)

「もちろんこれまで、九州ブロックの緊急消防援助隊合同訓練などで受援を想定した訓練は何度か行ってきたが、実際経験してみないとわからないことがあると痛感した。どこを拠点とし、どの大隊をどの野営地に振り分けるのか。たったそれだけのことと思うかもしれないが、実際に2000名を受け入れるとなると、各野営地のキャパを考慮した振り分けや各々の隊の到着時間、道案内は必要なのか否かなどの細かな調整が多々あり、かなりの時間と人員を割くことになった」(山口)

一方で、これまで訓練を重ねてきたことが活かせた場面もあった。緊急消防援助隊の指揮支援部隊長が県の災害対策本部に入ってからは指揮命令系統が一本化されたため、自衛隊や警察の動きが把握しやすくなったが、それ以前は各組織が個別に活動していたため活動状況が共有しづらかった。また、熊本市の災害対策本部にも関係機関が集まっていたが、ここではあくまで熊本市の情報しか得られず、消防業務を受託する益城町や西原村の情報が入ってこなかった。そこで、これまでの訓練で知り合った熊本県警察本部職員や自衛隊員に直接携帯電話で連絡をとり合い、他機関の情報を逐一共有することができた。普段から顔の見える関係を築いておくことの重要性を、身を持って知ることとなった。

「我々は消防のプロであり、現場では現有する消防力で最大限の活動ができたと思う。とくに市内については、益城町ほど要請件数が多くなかったこともあり、発生した事案にはほぼ100%対応できた。ただ、今回難しかったのが初めて経験する受援という部分。誰がどんな情報を必要としていて、現場にはどんなニーズがあるのかをしっかりと把握するためには、消防だけではなく県や市、警察などの関連機関が〝熊本県の防災”についての意識を統一し、よりリアリティのある受援対応を考えていくのが今後の課題だと思う」(山口)

*4月19日以降は避難者に係る数であり、関連死の判断によるものではない

本震発災直後の熊本市消防局警防課
本震発災直後の熊本市消防局警防課。棚が倒れ、資料などが床に放りだされている。

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益城町(ましきまち)

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