首里城火災で奮闘した指揮隊<br>―那覇市消防局―

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首里城火災で奮闘した指揮隊
―那覇市消防局―

写真提供◎那覇市消防局
Jレスキュー2020年11月号掲載記事

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令和元年10月31日の未明、首里城正殿1階から出火し、正殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間、黄金御殿他(奥書院含む)および二階御殿が全焼する大惨事となった(出火原因は調査中)。首里城は1429年に成立した琉球王国にあって、その政治、外交、文化の中心地となった王宮で、中国と日本の文化が融合した独特の建築様式で知られる。1945年の沖縄戦において焼失したが、1992年に正殿などの主要部分が復元された。その非常に高い文化的・歴史的価値から2000年には、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。

那覇市消防局の覚知時刻は10月31日2時41分、鎮圧時刻は同11時ちょうど、鎮火時刻は同13時30分。同消防局では消防車両59台、242人態勢で消火活動にあたった。また県内応援消防本部8本部15台74人、消防団1台23人が加わった。この火災において、中央消防署に常設されている指揮隊は出動指令を受け、2時56分に現場に到着、現場指揮本部を立ち上げて指揮活動を開始した。さらに3時50分には中央消防署長が現場到着。ただちに指揮宣言を行い、以降は署隊指揮に切り替わった。

圧倒的な消防力の劣勢下、那覇市消防局の指揮隊は何を思い、何を信じて闘ったのか――。

首里城火災で奮闘した指揮隊に聞く
「修羅場における現場対応力とは!?」

未明の2時41分に119番入電
2時56分に現着し、ただちに現場指揮本部を設置

編集部■指揮隊が現場に到着した際の状況は
指揮隊■2時56分に現着し、ただちに首里城公園御庭東側に現場指揮本部を設置し、火災の実態把握、情報収集、そして部隊運用にあたった(図①参照)。
火災の状況は、首里城正殿の北側軒付近から延焼拡大中で、延焼速度は速く、瞬く間に大きな炎が正殿を飲み込む勢いで、延焼危険大の状況だった。
御庭に面した正殿の北側付近に向けて、最先着隊の首里小隊、後着の神原中隊、西高度救助隊(放水銃)がそれぞれ放水活動を開始しており、時折、北側から吹く強風で炎が煽られており、上空を赤々と染めている状態だった。

編集部■その際の心境および活動の見通しは
指揮隊■あの威風堂々とした煌びやかな首里城が、真っ赤に燃えている光景を目の当たりにして、正直、現実のこととして受け止められず、茫然と立ちつく瞬間があった。
ふと我に返り、「これは長丁場になるぞ…」と覚悟を決め、火災の実態把握に努め、延焼阻止を主眼とした部隊運用の指揮に当たることになった。

炎上する首里城
炎が上空を赤々と染める。

編集部■初動に続く対応は
指揮隊■緊張感が増すなか、現場状況把握を行った。指揮隊として的確な部隊運用を行うため、以下の事項を一つずつ冷静に実施できるよう指揮を執った。すなわち、
◎首里城火災の警防戦術の要諦
◎水利の確保
◎包囲態勢
◎筒先配備
◎応援要請
◎施設消防用設備の活用
◎安全管理体制
――などである。
火勢の状況から、最先着部隊の活動では、圧倒的に消防力は劣勢に立たされていた。
火力は凄まじく、熱気は熾烈になる一方で、正殿直近に近づくこともできない状況に、「活動隊員の殉職、重大事故…」という最悪の事態が脳裏をよぎった。
消火活動もさることながら、指揮隊としてはまず、「隊員の安全管理を第一に」、と強く感じた瞬間であった。

那覇市消防局の指揮体制

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夜が明けても消防力劣勢の苦闘が続く

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