佐々木 秀樹 Sasaki Hideki
Sasaki Hideki 宮古地区広域行政組合消防本部 山田消防署 救急救命士 消防士長
Interview
語り部からの学びとラグビーの経験を
根拠ある技術と知識に昇華させる
岩手県・田老町で生まれ育った少年は、地元で消防士の道を選んだ。
全国消防技術大会に出場したその翌年、東日本大震災が発生。
あの日の悔恨を胸に、この手でより多くの人を助けたいと、ひたむきに消防の仕事と向き合い続ける。
文◎小針かなえ 写真◎井上 健(warm heart)
Jレスキュー2019年1月号掲載記事
消防士以外の選択肢はなかった
身長182㎝、体重80㎏。細面の穏やかな語り口からは想像もつかぬほど優れた判断能力と身体能力をもつ消防職員がいる。岩手県宮古地区広域行政組合 山田消防署の佐々木秀樹がその人だ。
屈強な躯体の基礎はラグビーで培われた。佐々木は、高校ラグビーでは全国的に知られる岩手県立宮古高等学校でフォワード(セカンドロー)のポジションを担っていた。花園出場をめざし日々練習に励む佐々木らを加勢していたのがチームのOBである。
佐々木たちの練習相手を買って出ていたOBのひとりに、現・山田消防署署長 中村光宏がいた。帆の黒い三菱ジープが彼の愛車だった。背番号はナンバー8。スクラム、アタック、タックル、ジャンプ、パスともっとも総合的なスキルを必要とするポジションである。中村は強かった。選手として大学から声もかかっていたらしいが、地元で消防士の道を選んだことを佐々木は後になって知る。
なんとかして先輩チームを負かしたいと思っても、20歳以上年上の相手を倒すことができなかったと佐々木はふりかえる。非番・週休のたびに、渾身の力をふりしぼって練習相手となってくれる中村らOB。やがて、消防士という仕事やその生き方、存在感が、佐々木の将来像の輪郭をくっきりと浮き上がらせていった。
「『消防士にならないか』といった勧誘は一切なかった。グラウンドでは仕事の話題がのぼることはなく、ラグビーのことばかり話していた」
そんな中村先輩の言動すべてがかっこよく映り、憧れた。自分も先輩と同じ仕事をしてみたい。そしていつか現場で先輩に勝ってみたい。高校生の佐々木にとって、自分の進むべき道として消防士以外の選択肢は考えられなかった。
佐々木は旧田老町(現宮古市田老)で生まれ育った。田老は「津波太郎」と呼ばれるほどの地域で、慶長16年(1611)、明治29年(1896)、昭和8年(1933)の津波で壊滅的な被害を被っている。こうしたことから、かねてより防災意識の高い地域でもあった。
佐々木は、小学校の入学前から、津波体験の語り部、田畑ヨシさんの話を聞き、紙芝居を見て「津波てんでんこ」を学び、地震があったらすぐに避難することを教育されながら大きくなった。
祖父も父親も消防団に所属し活動していた。初午に並ぶ祖父に手をふり、事が起これば昼夜を問わず屯所に向かう父親を見送っていた。佐々木少年は、祖父や父親がどんな仕事をしているかは知らなかったが、大変そうだなという思いはもっていたという。しかしその頃は、よもや自分が消防士になるとは想像もしていなかった。
全国消防救助技術大会に初出場を果たす
平成16年、佐々木は消防士として採用される。拝命は岩泉消防署。20歳だった。平成20年、田老分署に配属。佐々木の秀でた身体能力を見込んだ署の先輩が、彼に救助大会への参加を勧めた。
「先輩から、『ロープブリッジ渡過の姿勢がいいから、本気になって訓練すれば全国大会出場も夢ではない』とアドバイスされた。そこからはまさに試行錯誤の日々。訓練を重ねながら、課題一つひとつの解を探っていった」
平成22年5月、佐々木は宮古地区大会のロープブリッジ渡過部門で17.49秒の好タイムをマーク。6月に岩手県消防学校で開催された岩手県大会で18秒を記録して優勝を果たし、京都で開催される第39回全国消防救助技術大会への出場権を手にする。宮古・下閉伊管内の消防署からの全国大会出場は20年ぶりという快挙だった。
ロープブリッジ渡過の標準所要時間は28秒。佐々木は、全国トップクラスをターゲットに定め大会に臨んだ。入賞は逃したものの、各地区指導会を勝ち抜いてきた消防職員と大きな会場で技術を競いあった佐々木は、自己の可能性について確かな手応えを感じていた。
署に戻った彼は、さっそく翌年の救助大会に向けて準備を開始する。初めての大会は個人種目での参加だったが、次は2名1組の連携による競技に挑戦したいと考えた。種目はロープ応用登はん。登はん者と補助者が協力し、塔上から垂下されたロープを15m登はんする訓練である。標準所要時間は16秒。
佐々木は、経験豊富で誰もが認める実績ある先輩に、自分とペアを組んでほしい、力を貸してほしいと申し出る。要請に対して、その先輩は1年限りという条件付きで首を縦にふった。
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ひとりでも多くの人を苦しみから救える立場になりたい