ドキュメント 糸魚川大火

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ドキュメント 糸魚川大火

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近隣の上越消防、新川消防に応援要請

12時を回り午後に入ると、消防署長は活動方針を「延焼拡大に対し、応援協定に基づく増隊による延焼阻止」へと切り換える。これに伴い、12時00分、消防長が隣接する上越地域消防事務組合消防本部(新潟県)、新川地域消防本部(富山県)に消火隊の応援を要請した。

火災の広がりとともに依然として避難誘導は続き、12時22分には、延焼拡大に伴い市が本町、大町2丁目の273世帯、586人に避難勧告を発令し、避難場所を糸魚川地区公民館から市民会館へと移転した。延焼地域からさらに離れた立地にあり、広さも確保された。

12時26分、消防署長は消防団に対して第四出動をかけた。これにより糸魚川市消防団も全分団が出動してくることになった。

機転を利かせ、生コン組合へ水支援要請

12時47分、消防署長は糸魚川地区生コンクリート共同組合(以下、生コン組合)に水の搬送要請、国土交通省北陸地方整備局に排水ポンプ車などの支援要請を実施。市街中心部の水利は、いずれの区画でも基準を相当上回る消火栓と防火水槽が設置されているが、延焼があまりに激しく、水が不足気味になっていたのだ。生コン組合はかつて昭和62年の林野火災で当時の糸魚川地域消防事務組合消防署長の判断で水の搬送支援を請けたことがあり、今回もミキサー車23台に水を積載して準備を整えていた。また、国交省北陸地方整備局とは日頃から水防訓練などで連携訓練を重ねていた関係もあり、排水ポンプ車4台、照明車8台が応援に駆け付けた。

その頃、糸魚川市消防本部で活動の調整に奔走していた消防防災課長は、
「窓から糸魚川駅方向を見ると、すでに現場一帯から火炎と黒煙が立ち昇っていた。これは危険だ。延焼拡大の危機が迫っていると直感した」という。

消防本部併設の糸魚川市消防署。
消防本部併設の糸魚川市消防署。
市役所に対策本部を設置
新潟県広域消防応援要請

13時00分、市は米田徹市長を本部長とする「糸魚川市駅北大火対策本部」を市役所内に設置。ただちに第1回目の会議を開催した。13時10分には、消防長が新潟市消防局長に新潟県広域消防応援要請を実施した。新潟市消防局から新潟県下の各消防本部へと要請が伝わる。

この時点で焼損被害が50棟以上にのぼっていることから、13時59分には対策本部が自衛隊の派遣要請を決議。米田市長が新潟県に災害派遣を要請した。14時の段階ではガスの保安閉栓も420件に対して完了している。

その頃から、応援要請を受けた県下各消防本部から消火部隊、指揮支援部隊が続々と現着する。消火部隊各隊は消防署長の指揮下、すぐに消火する局面が付与され、消火活動を開始する。火はすでに大町2丁目の西側市街と本町の東側市街を北上し、日本海沿いを走る国道8号近くまで達していた。ちなみに、この付近の国道は13時10分に通行止めにする措置がとられている。

15時45分、南側に隣接する北アルプス広域消防本部(長野県)にも応援を要請。風は依然として南から吹きつけ、最大瞬間風速毎秒20メートル前後を記録。16時30分には、災害対策本部は延焼拡大する大町1丁目の90世帯、158人に対しても追加の避難勧告を発令している。これで避難勧告対象は計363世帯、744人にのぼった。避難所の市民会館には15時50分の段階で65人が避難しており、この日のうちに新たに上刈会館とホワイトクリフが避難所として追加された。

冬至をすぎたばかりの、早い日没を迎える頃、応援要請した消防隊すべてが活動を開始した。活動隊は、糸魚川市消防本部の消防車など16台、活動人員74名(前述)、糸魚川市消防団の消防車など72台、活動人員756名に加え、新潟県下17消防本部からの応援消防隊は消防車など34台、活動人員159名、北アルプス広域消防本部から消防車など2台、活動人員8名、新川地域消防本部から消防車など2台、活動人員8名など、消防車両計126台、活動人員計1005名。これに、水を積載した生コン組合のミキサー車23台、国土交通省北陸地方整備局の排水ポンプ車4台、照明車8台が加わる。これらの消防力をもって、大町1丁目、同2丁目、本町の約4万平方メートルを囲んでの消火活動を展開することになった。

出火から10時間以上
ようやく鎮圧の時を迎える

出火推定時刻の10時20分頃からおよそ10時間が経過した20時過ぎ。分散して延焼する火勢はどんどん叩かれていった。その甲斐あって、延焼に延焼を重ねた火勢はようやく衰え始めた。20時を過ぎてからの南風も少し弱くなり、最大瞬間風速は14.8メートルになったのも幸いしたかもしれない。

そして20時50分、消防署長は鎮圧を宣言。結集した消防力は、ついに延焼拡大を阻止したのだ。

なお、この大火に対応している間にも、他の災害は待ってはくれない。特に、救急事案については平時と同じように要請が入る。このため、消防本部では管内に非番者、週休者による救急隊を3隊確保し、救急事案に備えた。実際、大火の覚知から鎮圧までの間に9件の救急要請があり、対応している。

鎮圧後も、まだ依然として火はくすぶり続けるので、消防は完全に叩いて鎮火へともっていかなくてはならない。鎮圧直後の21時05分、消防署長は糸魚川市建設業協会に対して重機の支援を要請。重機3台が出動して、外からだけではなかなか内部の火種を叩けない鉄骨造建築物を破壊し、消火していった。

夜を徹して消火活動が実施されたが、翌12月23日朝になってもまだ火は完全に消えない。出動隊は交替で休憩をとりながらも、23日も活動を続け、約4万平方メートルの被災エリアにある147棟(全焼120棟、半焼5棟、部分焼22棟/焼損床面積3万412平方メートル)すべての火種を叩き続けた。

そして23日16時30分、消防署長はついに鎮火を宣言。出火から30時間以上という長い闘いはようやく決着をみることになった。

23日の活動隊は、糸魚川市消防本部の消防車など16台、活動人員75名、糸魚川市消防団の消防車など64台、活動人員720名、新潟県下17消防本部からの応援消防隊は消防車など25台、活動人員154名で、その合計は消防車など105台、活動人員は949名だった。18時00分には応援消防隊解散式が行われ、糸魚川市長は応援消防隊に対し、以下のように感謝の意を表している。

「県内17消防本部から応援いただき、30時間におよぶ消火活動のおかげで火災が鎮火できたことに対し、心からお礼申し上げます」

この大火による負傷者は17人で、その内訳は一般人2人、消防団員15人。怪我の程度としては中等症が1人、軽症が16人だった。これだけの大火でありながら、死者がゼロだったことは特筆に値するだろう。その理由について、消防防災課長はこのように話す。

「糸魚川警察署が1軒ずつ避難を呼びかけたこととともに、市民同士の横のつながりがあったからだと考える。もちろん、防災行政無線の屋外スピーカーの設置や戸別受信機の配布の充実といった事実はあるが、それとて住民全員がそれを聴けるわけではない。火事が起きているという情報を聴いた人が、聴いていない人がいるかもしれないと周囲に声をかけて知らせた結果なのだ」

そして、糸魚川市消防本部では今回の大火を教訓として、今後の街づくりのために市の関係課との協議を始めている。

※ 本文中の数値などについては、平成29年1月20日15時30分糸魚川市発表の報道関係用資料による。

糸魚川市消防本部直轄の指揮隊。
糸魚川市消防本部直轄の指揮隊。
糸魚川市消防署のポンプ隊。
糸魚川市消防署のポンプ隊。
糸魚川市消防署のタンク隊。
糸魚川市消防署のタンク隊。
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