指揮隊発足の契機となった「大型観光バス横転事故」

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指揮隊発足の契機となった「大型観光バス横転事故」

平成28年1月15日に軽井沢町で発生した「大型観光バス横転事故」。この際の活動経験が、佐久広域連合消防本部に指揮専従、本部直轄の指揮隊発足を促したといえる。事故に際し、最先着隊の救急隊長として現場活動を経験し、現在、指揮係長を務める小林心一が、当時をふりかえる(活動全体の経緯は時系列を参照)。

[写真]フロント側の救助活動。救急服姿が先着救急隊長として活動した小林心一。

写真提供◎佐久広域連合消防本部
Jレスキュー2020年11月号掲載記事

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事故の概要

≪概況≫
長野県のスキー場をめざして運行中の41名の乗客・乗員を乗せたスキーツアーの大型観光バス(乗車定員53名)が、平成28年(2016年)1月15日の深夜、群馬県から国道18号碓氷バイパスを走行し、長野県北佐久郡軽井沢町に入って間もない緩やかな左カーブにおいて対向車線にはみ出し、道路右側のガードレールを破って約3m下に転落、車体右側を下にして横転した。この事故により、乗客13名と乗務員2名の計15名が死亡、乗客26名が受傷した。死傷者41名のうち、10代が11名、20代が25名、30代が3名、50代及び60代が各1名だった。

≪発生日時≫

平成28年(2016年)1月15日(金)午前1時55分頃

≪発生場所≫

長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1016-111 国道18号碓氷バイパスC43付近

≪消防機関の活動隊・活動人員の状況≫

佐久広域連合消防本部の対応
横転したバス
横転したバス。フロント部分が大破し、中央から後方部分の屋根は大きく変形している。
関係機関の活動風景
軽井沢町碓氷バイパスでの大型観光バス横転事故における消防をはじめ関係機関の活動風景。
高崎市等広域消防局と佐久広域連合消防本部の2隊の指揮隊が現場で協力して指揮をとった。
横転した車内での救助活動は、活動障害となる座席を破壊するのに思いのほかてこずった。
専従の指揮隊があれば…初動からの統制がとれた

軽井沢消防署からの第1先着隊8人、救急隊の救急車と救助隊のタンク車、救助資機材を積載した資機材搬送車の3台が現場に到着したのは、午前2時4分の消防覚知から10分後の午前2時14分。現場に異臭や火災の危険はなく、路面の凍結や積雪もない状況だった。

救急隊の隊長として出動した小林心一は、伝えられた事故の概要から負傷者が多数いるだろうと予測し、出動途上の救急車から消防指令センターへ、佐久広域連合消防本部管内のすべての救急医療機関に対し、受け入れ可能人数を確認するように依頼した。

「要救助者の人数からして、状況が完全に消防力劣勢なのは明らかだった。先着救急隊長は、本来であればトリアージを担当すべきであるが、トリアージは救助隊の中で救急救命士の有資格者である1名と救急隊員の救急救命士に任せ、自分は救助活動に合流した。とにかくまずバスの内部から要救助者を搬出しないと、どうにもならない状況だったからだ」(小林心一指揮係長)

バスは車体の右側面を下にして横転した状態で、フロントガラスは事故の衝撃で外れていた。車体後部が少し宙に浮いた状態であったが、車体が立ち木に食い込んでいたことから、不安定な状況ではなかった。車体の上に二人の要救助者が乗っており、手を振っていた。

内部への進入は、安全面と活動面の両方から、フロントとリアの2か所からとした。最初は大型油圧器具を使って屋根に大きな開口部を設定することも検討したが、内部の要救助者の頭上で大きな資器材を使うことははばかられた。

次に現場に到着したのは小諸消防署の救助隊だった。立ち木に衝突している部分を境に車体がつぶれているため、車内は前後で行き来ができない状態のために、軽井沢隊はフロントから、小諸隊はリアから、それぞれ要救助者の救出活動を開始した。その後に佐久消防署の救助隊も加わった。

一方、外でトリアージを担当していた救急救命士は負傷者への対応のかたわら、高崎市等広域消防局から指揮隊が来援するまでの間、消防指令センターとの無線連絡を取り仕切っていた。

救助活動は、車内が狭く救出口から近い傷病者を順に一人ずつ救出するしかない状況であり、車内から救出後に救急救命士がトリアージを行い救急隊に引き継いだ。

「高崎の指揮隊が来てくれるまでは、指揮隊不在の状況下での活動となり、活動隊の統制がとれず、各隊が独自の判断でばらばらに救助活動を進めざるを得なかった。救急車による病院搬送も救急隊任せとならざるを得ず、さらに言葉を発することができない方も多くいたため人定がとれず、どの隊がどこの病院に、だれを搬送したかが現場では把握できない状況だった。消防と警察がばらばらに活動していたことも問題だった」(小林心一指揮係長)

一方、現在指揮係長を務める小林真樹は事故当時、通信指令課員として消防指令センターで奮闘していた。

「おそらく今なら専従の指揮隊があるので、もっと情報が取れると思うが、当時は乗客・乗員数が不明など情報不足にも苦慮した。警察は運行会社の情報などもつかんでいたが、それが消防には伝わっていなかったからだ。専従の指揮隊があれば、必ず各隊や関係機関とも情報共有がなされ、もっとスムーズな活動ができたのではないかと思っている。また来援してくれた高崎指揮隊は、平成24年(2012年)の関越自動車道における大型観光バス事故、平成27年(2015年)の上信越道における多重衝突事故など、多数傷病者事案での現場指揮経験が豊富な隊で、佐久広域の活動は大変助かった。消防指令センターから高崎市等広域消防局に広域応援を要請する際に、『救急隊の出動をお願いします』と伝えたところ、『佐久さんうち、指揮隊も出しますよ』と気遣っていただき、さらにはトリアージシートやエアーテントまで準備していただき今でも感謝しています」(小林真樹指揮係長)

高崎指揮は午前3時15分の現場到着後、佐久広域連合消防本部の指揮隊が未着だったことから、ただちに現場南側道路上に指揮本部を設置。救急車等の動線確保について警察と協議するとともに、トリアージタッグによる傷病者の管理を開始した。また大型バスの乗車人員数を確認するため、傷病者から旅行会社名を聴取し、連絡をとっていたが不通であった。その後、警察からの情報で、乗車名簿を確認。さらに佐久広域連合消防本部の本部職員を招集して組織された指揮隊が現場到着した後は、2隊の指揮隊が合同で指揮活動を実施。すべての要救助者が搬送された後、傷病者数の確認を実施、すべての活動が終息したのは現場が薄明るくなった午前6時46分、現場を引き揚げた。

佐久広域連合消防本部では、この事故における活動時の経験から、大規模事故発生時の対応には指揮隊が不可欠との認識を深め、平成30年4月1日の指揮隊の運用開始につながったのである。

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バス事故から3年…「我々は日々訓練を重ね、止まることなく、前進していく」

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