Special
トンネルの奥には爆発の危険が!
活動は可燃性ガスとの闘いから始まった
【国道253号八箇峠トンネル爆発事故】
970mより先の人命検索、そして救出
苦渋の決断
現場では地道な風管延伸作業が続いていた。風管同士はファスナーで連結させるため、接合時は一旦送風を中断する必要がある。これも作業に時間がとられる要因のひとつだった。25日8時50分から開始された第2回方針会議により、当面の目標はAラインを型枠位置(550m)まで、Bラインもさらに延伸し送風することとした。
現場は坑口が低く、奥に行くほど高くなる上り坂構造。また、貫通せずに行き止まりとなってしまっている。排気側の開口部もないため大型ブロアーなどの活用もできず、風を送り込むのではなく吸い出すためには負圧で潰れない風管が必要。結果として設定に時間を要してしまうため、時短効果は見込めない。効果的な作戦は送風しかなかった。
風管延伸作業は丸一日以上を費やし、26日の1時45分、ようやく型枠部分までAラインの延伸が完了。内壁と型枠の間に生じている80cmの隙間に風管を通すことができた。
Aラインが型枠を超えたことで、最深部までの環境改善は加速することになった。しかし、風管により隙間が塞がれてしまうため、隊員が行き来する際はその都度送風を止めなければならなかった。
進入隊員と外部の連絡を密にしながら、作業を続行する。無線を繋げるために300m間隔で人員を配置し、中継を行った。Aラインの型枠超えという課題がクリアされたことで、再び活動方針が見直される。以降はBラインも型枠まで延伸し、最深部までの環境改善を実施。並行して、進むことができなかった970mより先の人命検索を行うことになった。
12時45分には、いよいよ全隊によるトンネル内検索活動を実施。しかし、1050m付近で可燃性ガス30%LELが計測され、全隊退出が指示される。徐々に最深部へと検索範囲を広げていく。24日の午後10時から24時間体制で対応し、2日間かけてAライン670m、Bライン500mまでの延伸作業が完了した。
約70時間にも及ぶ一進一退の活動の末、その時が突然やってきた。
事故発生から3日後の27日午前0時15分。1300m地点まで進入に成功した隊員ら。携行したガス検知器からは、高い可燃性ガス濃度を示す警報音がけたたましく鳴り響いていた。その時、数メートル先の暗闇の中で、横たわったまま動かない人影を確認した。4名の要救助者だ。だが、可燃性ガスは依然高い濃度のまま。空気呼吸器の残圧も、脱出するのが限界というレベルだった。苦渋の決断で退却することにした。
要救助者の位置が判明すれば、あとは全力で救出するのみ。幸い、直前に風管の延伸が完了しており、最深部の環境改善も進んでいる。そこで、救出隊、搬送隊、無線中継担当と安全管理担当に分かれ、現場に集結した活動隊が一丸となって活動に当たることとした。
4時6分に救出隊を中心とした25名が進入開始。時間差を置いて4時36分に搬送隊を中心とした39名がトンネル内に進入する。再び要救助者の元へ戻った隊員ら。要救助者4名は狭い範囲に、横一列になるような状況で固まって倒れていた。一人ずつ担架に収容し、搬送を開始。型枠や瓦礫の山は坑口側で待機する別チームに担架を手渡す形でクリアしていった。5時59分、要救助者4名全員を救出。全進入隊の退出が完了した。
顔の見える関係
この活動では新潟県広域消防相互応援協定に基づく部隊や総務省消防庁から派遣された可燃性ガスの専門家などの協力により、過酷な環境下で最大限の安全確保と迅速な活動を行うことができた。発災当初から現場指揮を担当した田村次長と高橋警防課長は、「このような災害は管轄本部単独で対応するのは困難。県内各消防本部と普段からつながりを持ち、顔の見える関係を構築しておく必要があると強く感じた」と活動を振り返る。
大規模で、長時間に及ぶ活動を強いられるこのような災害は、いつ何処で起こってもおかしくはない。来るべき日のために、横のつながりを強化しておくことが重要といえるだろう。